2008年08月13日

タマや

タマや (河出文庫)
金井 美恵子
4309405819

読んじゃった読んじゃった、なんというかこの閉塞状況に耐えかねて、紅梅荘の開放的な空気を味わいたく。これという目的もなく、それこそ「希望もしない、絶望もしない」できゃっきゃきゃっきゃとじゃれあう人々。もちろん金井美恵子なのでそこには猛毒がしかけてあるのだけれど、この猛毒を逆に解毒剤とせずなんとする。現実世界ではこうまでぽんぽん都合よく偶然は連鎖しないが、この虚構ならではのスピード感を味わうもまたよし。登場人物全員が愛すべきキャラ。「人生というのは、事実の連続というよりはるかに出来事の連続あるいは不連続というべきものじゃないだろうか」、と、情けない役回りで登場させられる精神科医も最後にいいことを言う(大ラスでは結局どーんと落とされるのだけど)。事実は比較的恣意的である。出来事だけが絶対的。出来事、あるいは事件、ドゥルーズの…いやいやだめだめ、そのへんの話はまだしばらく禁止、とにかく、楽しいのですよ、この人たちは。
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2008年08月11日

ハイスクール1968

ハイスクール1968 (新潮文庫 よ 30-1)
四方田 犬彦
4101343713

個人的に1970年前後に東大周辺にいた人々の動向に関して並々ならぬ関心があるもので、むさぼるように読み終える。なんてうらやましいハイスクール。難解であることが格好良かった時代。それに比べて私の世代のハイスクールの、なんと軽薄なこと。せいぜいがバンドブームとそれに続くルーズソックスに象徴される女子高生ブーム、学校生活の不平不満を逸らせる娯楽には事欠かず、若い情熱が「政治」に向けられることなど一切なかった。そのなかで精いっぱい、他と違った存在になろうとして、そうそう、渋澤、『マルドロール』、ランボー、吉本隆明、読んだ読んだ。映画だって今はなきシネマ・ヴェリテや国名小劇に足しげく通い、フェリーニだゴダールだとありがたがってはとにかくみんなが観ていないものを、と躍起になり、音楽だって、とりあえず、温故知新だのなんだのといって、正直あんまりわからないながらもCREAMだのSMALL FACESだのと、古くさい(失礼)ものを気取って聞き(四方田氏はロックに関してビートルズとストーンズ一辺倒であるが私は実は両方苦手だ)、誰々は何々に影響を受けててうんぬんかんぬんとB!誌を無反省に受け売りしながら、ずいぶん頑張ったものだけど。20年以上あとの世代の私が高校生のころに、数少ない同志(?)と目指していたのは、まさにここに書かれてあったハイスクールなのだった。

先生とわたし』とあわせて読むと、うらやましくてうらやましくて、身もひきちぎれんばかり。
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2008年08月05日

怒りの子

怒りの子 (講談社文芸文庫)
高橋 たか子
061983741

玉のような京都弁に神経を逆なでされつつ(ごめんなさい京都の人)、のつこつのつこつ読み終える。こういう読み方は話が分断されてしまうので嫌いだ。物語のもつスピードを殺してしまう。読書は時間芸術なのに。

女が女の敵になる状況のいやらしさが、いやらしさとしてダイレクトに体感できるような後半部分がすごい。「うち、この顔、好きやない」としか言い表しようのない嫌悪感。山本ますみのたまらないうっとうしさを前にしたとき、美央子の怒りが我がことのように思えてくる。

「自分のことすてきや思たはるんやないか思て、おすすめするわ。自分のことすてきや思たはる女が、都会のすてきな男と連れだったはったりして、似合わんことあるし」

こんなことを、平気で言う無神経な女がたしかに存在するのだから怖い。誰のうちにも潜むという怒りの子を、今のところはうまく飼いならしているけれど。

主題は女の底意地の悪さと美央子の「決まらなさ」。この「決まらなさ」を置き去りにして、著者は神の世界へ踏み込んでいってしまう。なんだ、結局、そこへ行くしかないのだろうか、と、「枠が欲しい」と夢で叫んだことのある私はついつい、その方向を夢想する。
posted by nadja. at 19:32| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

めくるめくノヴァーリス

ノヴァーリスの引用 (集英社文庫)
奥泉 光
4087475816

ミステリ、ではない、か。

本を読む時間がないのであるかなきかの短い通勤時間を精一杯活用してのつこつのつこつ、やっと読み終えた。あー面白かった。

何が面白いってミステリ仕立ての展開の中にマニ教から霊肉二元論からマルクスからドイツロマン派までごった煮でぐっちゃり詰まっているからで、特に酩酊状態の夢想(?)のなかでの石塚の主張にはぐぅとうなりたくなるものがあった。笠井潔の企てとは違って、うまいこと咀嚼されてうまいこと文学に昇華されている。時間ができたらもう一回読み直したい(えらそうなこと言っちゃって笠井氏の『哲学者の密室』は未読、これもそのうち読みたい)。

と に か く 本 を 読 み た い。
posted by nadja. at 00:44| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

赤い風船/白い馬

梅田ガーデンシネマにて。公式サイトコチラ。「出会えてよかった」とか「奇跡の映画」とか、ごたいそうな宣伝文句はこの映画に限って大げさなものではない。絶対観に行ってくださいと太字にしたいくらい。どちらも40分足らずの短いフィルムだけれど、夾雑物一切なし、最もシンプルな形の、力強く美しい、夢のような時間。私、あんまりヒトにものを勧めたりしませんが、こればっかりは機会があったら本当に観て下さいまし。あ、ちなみに、立ち見でした(…)。

以下自分のために書くネタバレ追記。観てない人は読んじゃダメ。純粋に物語を味わっていただきたいので(私は『白い馬』のラストを先に知ってしまってもったいないことをした。公式サイトのコメント欄もストーリーも、決して読まないように)。
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posted by nadja. at 20:33| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

ビルマ、パゴダの影で

ビルマ、パゴダの影で』をナナゲイで。とっても近しい知り合いがビルマ関連のNGO活動をしているのに、私は何にも知らなくて、いつも恥ずかしい思いをしているのだった。たかがドキュメンタリー1本観たくらいで何がわかるわけでもないけど、カレン族やシャン族の難民キャンプの様子は決してテレビには映らないから、こうしてわざわざ「見られるところ」へ足を運ぶしかない。報道報道と喧しい世の中のくせに、それもおかしな話である。親をビルマ軍に殺されたシャン族の子どもが、「将来何をしたい」と問われて「兵士になってビルマ兵を殺したい」と答えていた。悲しい再生産の仕組み。けれど「それは間違っている」と言う権利も資格も誰にもない。違った未来を教えてあげることが、いったい誰にできるんだろう。サイクロンのあと、あのあたりはいったいどうなってしまってるんだろうか。

「へえ、こんなかわいそうな人たちもいるんだね」という感想を洩らしながら自分は空調のきいた映画館のソファに座っているという状況が耐えがたいから、正直この手のドキュメンタリーが苦手だ。知ったところで、何もできない、どうしようもない、せいぜいが今自分が享受している生活のありがたみを再認識して終わる程度、という逃げ腰が実は自分を守るための巧妙なウソであることに本当は気づいているから、苦手だと思うんだろう。まずは知ること、知らせること、か…?
posted by nadja. at 13:00| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月17日

yes,anastasia.

貴婦人Aの蘇生 (朝日文庫)
小川 洋子
4022643552

貴婦人…貴婦人。その聞きなれない響きはなんとも小川洋子の作品世界にぴったりマッチしていて、ずっと読みたいと思っていた(洋館、というのもきわめて小川洋子的)。でも「A」がアナスタシアのAだとはまったく予想していなかった。

とてもみずみずしいひと夏の描写。終わりは少々唐突な感じもしたが、そんなに長続きしないであろうことがこの物語の成立条件だからそれでいいのだろう。『薬指の標本』の印象が強いからか、この人の作品は舞台をヨーロッパに置き換えたとしてもすんなりとなじむ。たとえばこの話がフランスやベルギー、ブルガリアやルーマニアの一地方都市での出来事とされても、きっとあんまり違和感はない。
posted by nadja. at 15:11| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

リリー・マルレーン

気分転換にファスビンダーを。ほかにもいくつか観たかったけど時間的余裕皆無、無理。18日までシネ・ヌーヴォ。『マリア・ブラウンの結婚』とどっちしようか迷ったけど結局歌モノを。『リリー・マルレーン』といえばディートリッヒ、なのだけど、本作はそっちではなくてラーレ・アンデルセンという人の(って言っちゃあ失礼か、本家本元だもんね)逸話がベースに。帰ってからネットで調べて聴いてみたけど歌に関しては、正直やっぱりディートリッヒの迫力にはかなわないかな。興味のある人はぐぐってください(勝手にリンクはれないところっぽかったし)。

かなり生々しい砲撃のシーンにうっとりと流れ出す『リリー・マルレーン』のやわらかく物悲しい旋律………とは対照的な、「こんなまどろっこしいところはどうでもいい」とでも言わんばかりの、ファスビンダーの奔放かつ乱暴な省略、いやらしいねちっこい映し方(特に逮捕された夫が独房で、針のとんだレコードみたいに同じ箇所を何度も何度も繰り返す『リリー・マルレーン』を大音量で延々と聞かされるシーンなんてもう悪意の塊!)が見事にうっとり気分をぶち壊しにしてくれる(笑)。ファスビンダーってとんでもなくせっかちだったんじゃないかなぁ、あのテンポの速さはもはや暴力的と言いたい。

『リリー・マルレーン』とか、『花はどこへいった(where have all the flowers gone?)』(ちょうどいまナナゲイでやってる)とか、こういう重い物語を背負った歌が好きなのだけど、おまえの甘っちょろい感傷なんか知ったことか、とあざ笑われているような気さえしてくる。ナチスにプレゼントされた部屋でシャンパンを飲みながらざまあみろ俺たちは成功したんだ、とごろんごろん転がるシーンは歌が背負う美談を木っ端微塵にする。「ただの歌なのよ」「ただ歌ってるだけなのよ」と、たしかそんな科白もあった。ただの歌が、単なる偶然や気まぐれによって、ただの歌でなくなっていくことの、不気味さ或いは滑稽さ。
posted by nadja. at 19:53| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

生の暗部へ

誘惑者 (講談社文芸文庫)
高橋 たか子
4061963449

こんな本が絶版になっていたりするような世の中だから「周りがすべて悪いと思っている」なんてな尊大な物言いがまかり通る(まかり通らない?・笑)んだ、現在少数厳選読書期間中につき読後感をぐだぐだ書くことは控えるが、こういう話を「暗い」だとか「うざい」だとか言って忌避する風潮がとことん嫌いだ。暗くてうざいことのなかでしか見えないことがたくさんある。そんなのを全部切り捨ててしまって幸福だの充足だのいってみたところで全部ぺらっぺらのうそっぱちだ。生の暗さに向き合うことは、つまらないことでも面倒なことでもない。
posted by nadja. at 03:58| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

たとえ明日世界が凍っても


アンナ・カヴァン 山田和子
4862381006

楽しみにしていた本を読み終えてしまったときの言いようのない喪失感。もう知らない自分に戻ることはできない、というさみしさ。同じクオリティのものに出会うのはいつになるだろう。

思っていたほどずんどこに真っ暗というわけではなく、意外にも肯定的な力に満ちていた。氷とはあらゆる硬化していくものの象徴であり、人は常に氷の脅威にさらされている。無関心、疎外、絶望、あきらめ、そして肉体の死、すべて氷である。それら白銀のどこまでも冷たいヴィジョンと、アルビノの髪を持つ少女を救わんとする男の静かで熱い情熱の絡み合い。筋だけを追えばロマンスであるのに、甘ったるさは一切排除され、途切れ途切れの、強烈なイメージが速いテンポで話を運んでいく。破滅は決して逃れられない形ですぐそこにある、それでも。このそれでも、が素晴らしい。
posted by nadja. at 00:25| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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