2008年09月17日

そこに空白がある限り

本を書く
アニー・ディラード
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あらためて書くことは別にないのだけど。良い本でした。しみじみと。「書く」ことを愛するということが、なにものにも代えがたいことであることを、思い出させてくれるような。

「なぜなら、書くという行為はたんに不透明の中に存在するよりもずっといいからだ。苦しみ抜いて生み出される難解な文章でゆっくりと埋められていく紙。可能性の純粋さに満ちた紙。命取りの紙。あなたはその紙にありったけの生きる力をもって集めた完全にはまだ及ばない秀逸な文章を刻み込むのだ。その紙があなたに書くことを教えてくれる。」

そこに空白がある限り。終わることなく?
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2008年09月16日

おにいちゃん。

おにいちゃん―回想の澁澤龍彦
矢川 澄子
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そのうち買おう、買おう、と思っているうちにいつしか定価では買えなくなってしまっていたので図書館で借りた。奥付を見ると95年。十年一日さもありなん。そのなんとも足の速い時の流れに逆らって四半世紀以上前の「回想」を書く心境というのはどのようなものなのだろうか。

冒頭、病床の澁澤を訪問する筆者。既に声をうしなっていた澁澤との最後の「会話」。静かで優しい和解がそこにあったのかどうか、「別れぎわ、二人はおのずと握手しあっていた」、というただそれだけのことが、なぜか涙が出るほど羨ましい。「再会」ですら難しいのが人の世。それを可能にする環境が、この人たちにはあったのだ。

いくら「不幸ではなかった。不幸どころか、こよなく幸せな、甘美で充実した日々だったのだ」、と矢川さんが言葉をつくしても、あとを継いだ形になった澁澤龍子さんの『澁澤龍彦との日々』と比較すれば、全編に悲哀の影が落ちていて、いかにも薄幸そうである。そんな比較をすることじたいとても下世話で失礼なのは承知だが、読者というのはずうずうしいもので。「私」を「I」というイニシャルで代用してしまうという痛々しいまでの謙虚さが胸に痛い。どうぞ安らかにお眠りください。あちらの庭では「おにいちゃん」という呼びかけが、きっと今日も響いていることでしょう。
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2008年09月15日

解決しないことだらけ

マークスの山(上)(下) 講談社文庫 高村 薫
マークスの山(上) 講談社文庫

マークスの山 講談社文庫


ついでなのでざっくり読み返す。『レディ・ジョーカー』を読んでいて、あれ、合田刑事ってこんなキャラだったっけな、と思い。前回読んだのがいつだったのかもう思い出せず、前回読んだのが文庫版だったのかそうでなかったのかもあいまい、ただなんとなく、MARKS、という頭文字を追っていく話だったこと、山の話だったことだけは覚えていた。

『レディ・ジョーカー』では社長のカバン持ちをさせられながらも超人なみの千里眼と地獄耳を発揮する、牙をもがれたライオンのような印象の合田刑事だったが、『マークス』ではライオンさながらである。関西弁で吠えまくり、上司にたてつき、部下を鼓舞し、管轄を越権する。この熱さを彼はどの段階で失ったのだろう? 『レディ・ジョーカー』ではキリスト者として登場した合田刑事だが『マークス』ではその片鱗もない。ヴァイオリンも弾かない、なにせ悩み深い人であることは両作品に共通しているが。なかなか興味深いキャラである。『照柿』にも登場している、とか。これも読んだような読んでないような、たぶん母親の本棚をひっくり返せば出てくるだろうから、機会があったら再読するか。

次は、次は、とページを繰らせる構成はさすがである。だが「ミステリ」としてはまったく消化不良。動機は不明、経緯も不明、そもそも犯罪の端緒となるはずのきっかけを、重度の健忘を患っている「犯人」がいかにしてつかんだのかも不明、不明不明不明、でまたしてもカタルシスの欠如。この欠如が凡百の「ミステリ」との差異なのだと言われればそれまでなのだが、私自身はすとんと落ちる謎解きの瞬間の爽快感を求めてこそミステリを読むので、やっぱり読後感がよろしくない。この割り切れなさが「リアルな筆致」と言われるゆえんなのだろうか、世の中、解決しないことだらけだもんね。
posted by nadja. at 14:04| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

カタルシスの欠如

レディ・ジョーカー〈上〉〈下〉
高村 薫
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レディ・ジョーカー

なかなか文庫にならないものだからもうハードカバーでいいことにした。村氏は文庫化にあたってばっさりと構成を変えてくる人だが、今作は緻密にすぎる筆がしんどかった。実質2日で読み終えた自分もどうかと思うが(二段組の上下二巻だもの。おかげで目が痛い)。

日之出ビール(エンブレムは金色の鳳凰である。アサヒビールとキリンビールを足して2で割ったようなネーミングが絶妙)社長誘拐事件とそれに続く身代金要求、という「事件」は確かに起こるのだが、超巨大企業をとりまくシステムは「事件」の解決を許さない。犯人でさえ、不気味なシステムの見えざる手によって葬り去られていく。その過程に戦慄する。『リヴィエラを撃て』とか『黄金を抱いて翔べ』のような爽快な犯罪モノとはまったく異なり、胸いっぱいに重い砂を飲まされたような読後感が残る。裁かれることもなく許されることもなく、どろりとした流れのなかに飲み込まれていく悪の数々は結局個々人の内側で、消化されるか黙殺されるしかない。指差し機能も自浄作用も失ったどん詰まりのシステムを前に呻吟する男たち(女たち、は驚くほどに排除されている)。「ジョーカー」とは「解決しえぬもの」の別称でもあるのだろう。

最終的にジョーカーを引かされるのは読者である、という、このカタルシスの欠如はいかんともしがたい。作中、根来から加納へはついに手渡されることのなかった「シモーヌ・ヴェーユ著作集」でも読むか(笑)。
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2008年09月10日

ぽーにょぽーにょぽにょ

ポニョ、すきーっ、ポニョ、かわいーっ

深読みを楽しんでらっしゃる方々の考察も読ませてもらったけれど、一言「かわいーっ」でいいんではないだろうかと私は思った。素朴であたたかいタッチの絵は、あのシーンは何を象徴していて云々、というような小難しい考察を拒絶しているように思えてならない。幼稚園くらいの女の子がエンドロールが流れ出したとたんにぽーにょぽーにょぽにょさかなのこー、と歌い出したのが微笑ましかった。私もあえて、「かわいーっ」に留めておくことにする。ほんとにかわいくて、ただかわいいだけでも涙って出るんだ、と序盤思ったことです。

でもでもやっぱり一言だけ。以下ネタバレ追記。
posted by nadja. at 15:24| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

ガープ! ガープ!

ガープの世界〈上〉〈下〉
ジョン・アーヴィング
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ガープの世界〈下〉

映画は観てない(グレン・クローズとロビン・ウィリアムスか…むむむ)。アーヴィングはどれもこれも長いから、初体験。ここまでディケンズだとは思ってなかったがたまらない。面白い。ジェットコースタどころか毎日がフリーフォールなガープの世界。次がどうなるのか知りたくて、それで、それで、どうしたの、どうなるの、とまるでお話をせがむ子どものように頁を繰る。幼児退行した傷痍軍人からタネだけを拝借しガープを出産するジェニー、レスリングと書くことしかしないガープ、読んで読んで読みまくるヘレン、性転換した元アメフト選手のロバータ、スマートな出版人ウルフ、哀れな間男ミルトン、暴行されて舌を切り落とされたエレンに、エレンに追従せんと自ら舌を切り落とすエレン・ジェイムズ党員、エトセトラエトセトラ、悪趣味グロテスクぎりぎりの過剰な人々が次から次へドタバタドタバタしてくれるのみならずガープの作品として作中に挟まれる「ペンション・グリルパルツァー」に「ベンセンヘイバーの世界」、もう頭がおかしくなりそう! だけどこれこそが、「小説」を読む愉しみ。
posted by nadja. at 00:47| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

言葉の品格

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)
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D・H・ロレンスの名著『現代人は愛しうるか―黙示録論』にあれほどの衝撃を受けたのはひとえにこの福田氏の気高く、凛々しい翻訳のおかげであったのではなかっただろうか。私個人の語学力の問題もあるだろうけど、原書で読んだときにはさほどの感激も感動もなかった。

今現在福田恒存の言葉に接しようと思ったらいきなり全集をどーん、になってしまうので、なるべく多くの人に、手にとってもらえるように、というのがこの本のコンセプト。おいしい部分だけを1頁を超えない分量で細切れに抜き取ってきているので、よくありがちな「ポケットに名著を」感はぬぐい去れない。前後の文脈も読みたい、もっともっとこの人の言葉を読みたい、と思うが、現代人は愛しえないほど忙しい(笑)から仕方がないか。どこの頁を開いても独自の批判精神に貫かれた品格ある言葉が並んでいるから、それだけでも満足だ。「意識の歪みは存在の歪みによつて決定される前に、まづ言葉の誤用から始る。」ぴしゃーっと竹刀で背筋を伸ばされる感がする。その中でお気に入りの一文。「真にむづかしいこと、真に勇気の要ること、それは誠実ではない、うそをつくことだ。うそをつくとは、自分に誠実であることより、他人に誠実であることを重んずる流儀にほかならない。」軽妙と、深厳の、絶妙なバランス。
posted by nadja. at 23:07| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月04日

クライマーズ・ハイ

クライマーズ・ハイ (文春文庫)
横山 秀夫
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母親の本棚から失敬。まるで戦場のような、日航機墜落事故をめぐる某地方新聞社の制作現場。怒声、罵声が飛び交う。社内の駆け引きと、家庭との齟齬、そうして報道のあり方を問うラストとが、うまく絡まりあっていて一気に読了。『半落ち』は「泣けるいいお話」然とした読後感が好きでなかったが、こちらは最初から最後まで張りつめたテンションが続く。映画では悠木は堤真一さん。最近大活躍ですな(ガリレオ、ガリレオ・笑)。
posted by nadja. at 11:11| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月31日

乱れ読む

祝、読書解禁!

というわけで5日間で4冊読んだ。んもう幸せ。幸せすぎて脈絡なさすぎて笑える4冊。まずはヴォネガット、再読。

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262)
カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志
4150102627

このとことん利用され尽くす物語、徹底的に利用され尽くす物語に、なんらかの救済を求めたい気分がしたものだから。全人類のすべての営みがたったそれだけのことのためにあるとしたら、私やあなたが何をしたところでたいして問題ではないのだ。たいして問題ではないけれど、超巨視的な視点に立てば、もしかすると、たとえばくしゃみひとつ、まばたきひとつであっても、トラルファマドール星の誰かさんにとっては決して欠くことのできないパズルの一片であるのかもしれない。どちらにしても、「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」というビアトリスの結論は正しい。

OUT 上  講談社文庫 き 32-3 OUT 下  講談社文庫 き 32-4
そして画像だけ並べてみる『OUT』、桐野夏生初体験。母親の部屋に積んであったのでいつか読もうと思っていた。解説が松浦理英子であった。マサコさんもヨシエさんも「ライオット・ガール」の系譜に連なる女傑、というわけか。女が強く逞しいことの心地よさ、小気味よさよりもグロさが先に立ってきつかった。これが「エンタテインメント」になりうる世の中が恐ろしい。だってたくさんの人が読むんでしょ? 私にはこれを「面白い」という勇気はないよ。

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)
ボリス・ヴィアン 伊東 守男
4151200142

そして本棚で目があったボリス・ヴィアン、再読。何年ぶりでしょうか。解説は小川洋子だった。あら。そうだっけ。「肺に睡蓮が生える話」、とたった9文字でとてつもない独創性を勝ち得てしまうという不朽の名作だけれども、オトナになって読み返してみると睡蓮はただの乙女チックな小道具なのではなく、労働や貧窮と密接につながりのある、人間の生の悲しみの象徴たりえているあたりがさすがに、名作である所以であるのだなあ、と感じ入った次第。
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2008年08月28日

ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン

@第七藝術劇場。公式サイトこちら。『赤い風船』へのオマージュというふれこみで、ジュリエット・ビノシュだし、とっても楽しみにしてたのだけれども、見なくていい作品だったな…。あんなにヒステリックに騒ぎ立てるジュリエット・ビノシュを見たくなかった(太っちゃって…)。すれ違い行き違い孤独を抱えて生きる人々を見守る赤い風船、という構図がわかりやすすぎて、単なる騒々しいおばさん(嗚呼…)が子どもを中国人のベビーシッターに任せて、ドタバタとあわただしく空回りするだけの日常のポートレイトと化していた。映像は綺麗だし、ピアノの使い方もよかったけど、ジュークボックスから流れてくるポップスはいただけなかった。カラックスの映画に出てた頃のジュリエット・ビノシュは可憐で、けなげで、つつましやかだったんだけどなぁ…。
posted by nadja. at 01:20| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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