2007年07月30日

触れられない

なにもしてない
笙野 頼子
406263158X

痛々しくもあっぱれな執念である、などと的外れな感想を持った。現実に「触れられない」ことを見事に表現する、腫れあがっていく手指の描写が凄い。その腫れや赤みが引いたところで後半部分は筆が鈍っていくのは、やはり、強烈な自閉感や閉塞があってこそ、ということか。『イセ市、ハルチ』のほうは鬱積したものを一斉に解き放つかのようなストレートな表現が意外だった。後の作品ではこうはいかない。
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2007年07月29日

そういえばよく眠っていた

小春日和(インディアン・サマー)
金井 美恵子
4309405711

『噂の娘』は途中リタイアしたのだった。小学生の視点がぐねぐねしている、というのがどうにも無理がある気がして。今回は19歳の視点であるのであんまり違和感もなかった。この人の意地の悪さが好きだ。

19歳や20歳のころっていったい何をしていたんだろうか。たしかによく眠っていた気がする。ぼんやりぼんやり、大学に行ったり、行かなかったりして、若さと未熟さをもてあまして、何もしたくない、とアンニュイを気取ってみせながらも実は何をしたら良いのかが分からなかったものだから、眠っていたのだろう。思い出せることがあまりない。やっとのことで思い出すとたいてい恥ずかしいことばかりなので、自分でも出来るだけ思い出さないように規制をかけているのかもしれない。

あれは多分小春日和と呼ぶにふさわしい日々だった。80年代と90年代ではもちろん空気が異なるが、読んでいてとても懐かしい気がした。勇気を出して思い出してみようか、という気にもなった。
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2007年07月24日

アイヨク?

溺レる
川上 弘美
4167631024

アイヨクは正しく愛欲であるべきだ、と感じるのはダメだろうか? のらりくらりとした文体はおそらく意識的なものであろうし、確定的なことを決して書こうとしないのも戦略的なものなのだろう、ということは分かるが、こうまで微温的な世界は個人的な感想として好きではないのだった。
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2007年06月25日

覚えていない!

マリ&フィフィの虐殺ソングブック
中原 昌也
4309406181

子猫が読む乱暴者日記
中原 昌也
4309407838

すごい!3日ほど前に読了したばかりなのに両方とももう既に内容を一切覚えていない!読んだかどうかすら曖昧!こんな本ははじめてだ!それはそれですごい…のか、どうなのか。
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2007年05月20日

博士の愛した数式を読み解くと

博士の愛した数式
小川 洋子
4101215235

映画を観た直後に読み直し。良いな、と思っていた場面がすべて映画ではそぎ落とされていて悲しかったので。でも映画となったら阪神タイガース、江夏を前面に押し出すことはやっぱりできなかったんだろうな、と読み直しながら納得した。いろいろ制約があるんだろうね。

でも博士は野球なんかしないほうが良い。するべきじゃない。スタンドのきれいな売り子のおねえさんからジュースを買って喜んでいる博士のほうが私は好きだ。

この本のキモであるオイラーの公式、博士の愛した数式である「eiπ + 1 = 0 」は、虚数だとか無理数だとかいった重々しい大人同士の関係に、「1」、子ども=ルート、が加わることで、完全な円となる、ことをあらわしているのだと私は思う。映画には「eiπ = −1」というヴァージョンも出てきていて、これは博士、兄、そして兄の嫁の結局マイナスにしか作用しなかった三人の関係を表現している。数学って美しいな、と思う。なんて簡潔でなんて大胆でなんて象徴的なんだろう。

原作を先に読んでいて、映画を観たあと、ああこれは映画の勝ちだと思ったことって実は一度もない。「eiπ + 1 = 0」に封じ込められた物語の機微は、やっぱり本のほうが味わい深い。
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2007年04月22日

いやらしい。

箱男
安部 公房
4101121168

日本文学の想像力というのは欧米の文学のそれよりもはるかにエロティックだ。それも、じめじめ、ねっとり、「いやらしい」。本作も遺憾なく、いやらしい。断片的に重ねられていくイメージの隙間を湿気の多いエロティシズムが埋め尽くしている。息苦しいほどのいやらしさ。もはや誰が箱男でもいい。
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2006年12月10日

串刺しにされて凍りつく

硝子生命論
笙野 頼子
4309008488

やはり怖い。笙野頼子はほんとうに怖い。おそろしい。第1章を読み終えたあたりで後の展開をおびえるあまり数週間、頁を繰る手が止まった。勇気を出して読み終えたが心臓を串刺しにされたような気分だ。

「文藝ガーリッシュ」だって? 少々ネクラな傾向のあるガーリッシュな読者なら凍り付いてしまうだろう。最も触れられたくない部類の、羞恥と、憎悪が、残酷なまでに抉り出され、ぶちまけられている。内臓の動きまで見透かされているような恐怖感がおしよせてくる。

救い(?)は第4章でくるりと方向転換がなされて、おそれていた形で物語が終わらなかったことである。あくまでここで語られているのは「硝子生命」であって、私が想定しておびえていたのはその硝子生命に鏡でできた布をかぶせた「鏡生命」のようなものである、と書けば勘の良い人なら分かってくれるだろう。醜悪な自己愛が素晴らしき新世界の建国という方向へそらされていったことは、安堵でもあるのだが、少々、残念でもある(誤字脱字の類が多かったのも残念である)。

水晶内制度
笙野 頼子
4103976047

がその続編であるというこの『水晶内制度』を読んでみるまでは安心できない。
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2006年11月20日

獣のほうが人間なんぞよりよっぽどよっぽど獣じゃない

女獣心理
野溝 七生子
4061982532

もう一冊読んでみたくなって同じ棚にあったので購入。うって変わって文体も一気に都会的になり、あれ、ホントに同じ作者の作品?と思ったほど。昭和5年、モボ・モガが銀座を闊歩していた頃なんだろうか、不思議にモダンで時代の匂いがしない。というかほとんど現実の匂いがしないのだ。

美術学校の卒業制作にレダを描いた薄幸の人、サヤと、サヤを崇拝する沙子(すなこ、と読む。ステキな名前だ)。沙子は上流階級のお嬢様、母は娘とサヤとの付き合いを快く思っていない。沙子の許婚である話者はサヤに惹かれ、判然としないサヤの、後ろ暗いかもしれない過去に踏み込んでいく。

まるで希臘悲劇。

だが多分、『山梔』を書きえたこの人でなければ、サヤが消息を消した理由をこのように書けなかったと思うのだ(情況設定はできすぎ、の感が拭えないにしても)。「女獣」心理だなんてなんとも安っぽいタイトルだけれど、「心理」描写にかけては素晴らしい。いろいろできすぎな面はあるけど(しつこい)。
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2006年11月18日

家族とは、親子とは

山梔
野溝 七生子
4061976990

「空や、阿字子は、ほんとに好い子になって、そして、今、空が歌った金と銀との橋を、空の行く道に、きっと架けて上げるよ」(P.164-165)。

親が子を殺し、子が親を殺し、人が人を嬲り、詰り、若い命が日にいくつも散っていく昨今、家族とは、親子とは、兄弟姉妹とは、これほどに、互いを思いやることができ得たのか、と、胸が詰まった一冊。本筋は、そこではなくて、あくまで阿字子が「知」の女性であって、当時の家父長制度との軋轢のなかで父には「腐れ学問」と言われ、打たれて、嫂には「親同胞の厄介者」「恥さらし」と謗られて、というところにあるのだろうけれど、阿字子の母を思う気持ち、緑の阿字子を思う気持ち、母の阿字子を思う気持ち、阿字子の空を思う気持ち、それらに打たれて私はもう、ほかのことはどうでも良くなってしまった。

確かに阿字子はどうしようもなくわがままでかたくなで「あんた何言ってんだい」といってやりたくなるのだが、もうそんなことよりなにより、互いが、互いを、思う気持ち。それらがすれ違っていくときの、悲しみ。

講談社文芸文庫、ってもうすでに値段が「文庫」ではないけど(笑)、どこかで見かけたら是非手にとって読んでみていただきたい、と、おすすめなんかしたことないけど、思った一冊。
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2006年11月15日

ま、読まなきゃ分からないこともあるさ

雨更紗
長野 まゆみ
4309405975

「助けてほしいなんて、思わない。そんなこと、誰にもできないことだ。」という例の「教科書」(笑)の見出しにつられて買ってみる。148ページしかない、しかも文字組みの大きな文庫なのでさらりと読んでみる。この人の本も初体験。多作な人ですな。時代設定はどのあたりなんだろう。瀟洒な日本家屋の細やかな表現は別世界へ誘ってくれるものではあるけれども話の筋は故意にそうしているのか、薄ぼんやりしていて「読んだ」という気があまりしない。

丘沢哉と児島玲はどちらが現実でどちらが非現実なのだろう。

文藝ガールは斯様な体温を持たないBLに嘆息したりするものなのだろうか。私は、苦手である。
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2006年11月13日

瞼の裏に住まうキミ

第七官界彷徨
尾崎 翠
4794301537

この人のことを何も知らなかったので忠実にノミネート作品を読んでみた。表題作は、哀しいユーモアに満たされた奇妙なお話で、一助と二助の会話などはツッコミどころ満載なのだけど、私はそれより「歩行」(心理学の「研究」だとかで戯曲を朗読しあう、というのはなんと切ない設定だろうか)とか「こおろぎ嬢」(「ひとつの骸で両つのたましいが消えていった…」)、が良かった。

この人の瞼の裏にはどのような男性が住まっていたのだろう。

「第七官界」というのはもしかすると、そういったただ、自分の内側にだけしか存在しないけれども現実以上の確かさをもってそこにあってしまう世界、のことかもしれないというのは牽強付会にすぎるとしても、まあなんせ「この小説を前にして平然としていられる女子は女子失格」とまで『文藝ガーリッシュ』の著者が書いてらっしゃるような作品なのであんまり平然としてても、アレだし(笑)。

なによりも、私は尾崎翠、という人そのものに興味を持った。
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2006年11月09日

アンファン・テリブル…

燃える風
津島 佑子
4122012341

「津島佑子」というと「ああ太宰の」というのが一般的な反応だろうし私もそうだし昔母の店の客が『津軽』と一緒に津島佑子さんの本を何か一冊下さったことがあって読んだような読まなかったような記憶があるようなないような(『津軽』は読んだ、のは覚えている)、だから多分はじめて接するのだと思うのだがやはり小学5年生の、愛に飢えた女の子の物語を読むには私は薹が立ちすぎていたようだ。

「二度と有子に気安く近づくことができなくなるように、少しの妥協もなく痛めつけてやらなければならない」

「それはやっぱりひきょうなことです。ゆるしてはいけないことです。その人のためにも、一度、てってい的にわからせてやらなければいけないと思います」

「自分の軽々しく口にした言葉の重さを、橋口泉に思い知らせなければならない」

どうだろうかこの激烈な言葉の群れは。これらの言葉は「ああ太宰の」という我々の「心無い」反応への復讐として、受け取ることが正しいのだろうか。
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ケッサク。

文章教室
金井 美恵子
4309405754

『文藝ガーリッシュ』にはこれではなく『噂の娘』がノミネートされていたのだがあいにく貸し出し中だったもので。だがこちらを選んで正解だったかもしれない、なんだこの悪意。なんだこの痛罵。なんだこの爽快感(どこで息をつげば良いのか分からないような文体にもかかわらず)。

こんなふうにバッサリバッサリと切って捨てるのはさぞ心地が良いだろうな。

猛烈に意地悪だけど、憎悪、なんていういやらしいものは一切ない。できるならこのくらい、突き抜けたいものだ。
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2006年11月07日

危険な関係…

暗い旅
倉橋 由美子
4101113025

たまたま書店で千野帽子さんの『文藝ガーリッシュ』という本を見つけて、ああ、これこそ私に壮絶に(笑)欠けているジャンルだ、と思い購入。カイエと平行して何冊か読んでみることにした、ってそれもえらいバランスに欠けている気もするが。

とりあえず倉橋由美子さんは『聖少女』『パルタイ』『ヴァージニア』『毒薬としての文学』『大人のための残酷童話』と結構読んでいる部類に入るので、1961年発表の『暗い旅』からはじめてみることにした(図書館で借りたのだが閉架図書だった)。

読後感は「むはー」である。

巻末近くにあるが、「…それは《まだ発見されない小説を求めて》という主題をもつ小説を書くこと」、という、野心に満ちた冒険的な小説であるのだろう。文中、読者は「あなたは」と幾度も幾度も呼びかけられる。私は行方不明になった婚約者を探す(?痕跡を辿る?それとも死亡確認をする?)旅に巻き込まれていく。東京から京都への6時間半の旅の間に「あなたは」(私は)少女から女へと変貌していく。確かに「スティル」のある文体である。それが独特のものであるのか否かはガーリッシュに疎いので私には分からないが。

彼と「あなた」は奇妙な契約を結んでいる。《サルトルとボーヴォワールのように》。合意の上で裏切りあい、ラクロの『危険な関係』を地で行こうとする。

彼は肉感的なフィユとの情事を仔細もらさず「報告」する、「あなた」もギャルソンとのアヴァンチュールを彼に語る、裏切りあうことで逆説的に愛を確認しあう、貞潔などというたかが粘膜ごときに保証されるようなやわな関係ではないのよ、と。

…そんなことを夢見た頃も、あったなぁ…(苦笑)。

概して、そういう関係は、破綻する運命に、ある。

まったく余談だが、文中「ナポレオンは《Joséphine, pas ce soir》といった」、という一文が出てきたのだが、これはTORI AMOSの「Not Tonight, Josephine」の歌いだしが印象的な「Josephine」とやはりなにかつながりがあるのだろうな。

To Venus and Back
Tori Amos
B00001IVJS

そういえばトーリはとてつもなく「ガーリッシュ」な人である(手前味噌ですみません)。
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2006年11月05日

プラネタリウムへ

プラネタリウムのふたご
いしい しんじ
4062755254

珍しく最新刊などを。

小学生の頃星を見るのが本当に好きだった。天体望遠鏡を買ってもらって、ハレー彗星だって見た。1998年、テンペルタットル彗星が33年周期で帰ってきたとき、もう望遠鏡は手元にはなく、私は友人と、その友人の兄の車に乗せてもらって田舎へ出向き、ボンネットに寝転がって幾百の流れ星を眺めた。

どこかの田舎街のプラネタリウムでテンペルタットル彗星の解説のさなかに泣き出したふたごの兄弟は、テンペルとタットルという名をつけられて泣き男の手で育てられる。プラネタリウムの屋根の下で。

設定も語り口もまるでおとぎばなしだけれど、ああ、そうだね、そのとおりだね、と思うことは少なくなかった。

久しぶりに星座早見盤を取り出した。11月5日、午前3時前、天頂付近にはぎょしゃ座のカペラが、その少し後ろにはふたご座のカストル(2等星なので大阪の空では見えまい)とポルックスが、オリオン座は南の正面に、そして全天で最も明るい光を放つシリウスが、冬を連れて、やってくる。

プラネタリウムに、行きたいな。
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2006年08月03日

引きこむね〜

ハルモニア
篠田 節子
416760504X

『女たちのジハード』は母の部屋に転がっていたけれど読まなかった。がこの調子だと手にとったらすぐ読了してしまうだろう。とにかく引きこむ力が強い。故あって図書館で借り出してきて6時間ほどで一気に読了してしまった。故、というのは本書に登場する妖艶なるチェリスト、「ルー・メイ・ネルソン」(クラシックには本当に疎いので自信がないけど本当に架空の人物なんですよね??)をめぐっての自己言及的構造をうんぬんかんぬんしたりしなかったり、という文学理論方面からのくだらない要請である。

脳に損傷を持つ美しい少女(テレビドラマでは中谷美紀さんが演じられたそうだ。なるほど)がサヴァン症候群的なものの発現として驚異的ともいえる音楽的才能を示しはじめたことに物語は始まる。超能力譚めいた大回しはさておくとして、音楽、音楽的才能、天才、などに対する各登場人物の葛藤が克明に、テンポよく描かれていて良かった。

いかにも、ドラマとか、映画とかに、向いてそう(=こういう話って受けそう)だ。バッハの無伴奏チェロ組曲、を聞いてみたくなった。
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2006年07月27日

おそろしい

母の発達
笙野 頼子
4309405770

笙野頼子、と名前のある本を開くとそこには異常事態が発生している。『二百回忌』も、『レストレス・ドリーム』も、なにかとんでもないものを「見て」しまったという印象だった。「読んだ」ではない。頁の間から、文字の間から生のまんまの何か得体のしれない異常事態がぐぅううと音を立てて立ち上がってくるのだ、おそろしいったらありゃしない。

そして今作はずばり『母の発達』なのである。頁には「母」という文字が溢れている。そして母が、「あ」の母、「い」の母、「う」の母が・・・。

母は縮小し、惨殺され、そして増殖する、記号に還元された母は今私が叩いているキーボードの上で跳梁跋扈している、ありとあらゆる言語の源には「母」の刻印がべったりと記されている、ロゴスのファロサントリスムを解体せんとする意図を読み取れなくもないけれどそんな悠長なことをいってられない、

おそろしい。
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2006年07月24日

個人的な体験≠普遍的な体験

個人的な体験
大江 健三郎
4101126100

文中のどこかに、たとえそれが個人的な体験であっても深く深くつきつめていったなら人間一般の真実に関わる抜け道にでるような体験はあるはずだろう?といった趣旨の一文があったように思う。ではこの小説がそういった「普遍的な体験」と成り得ているかと問われたら一読者としての私は否という。大江健三郎の、大江健三郎による、大江健三郎のための、小説でしかない。

偽悪的なまでに正直な。頁から血が滴るほどに内面を抉りぬいたものであっても。

他者の最も醜く敏感で繊細な部分を、こっそり覗き見ているような感覚に襲われる。鳥(バード)の恥辱を通して我々自らの恥辱にベクトルを向けるべきなのであろうが、今回に限り小説の頁は鏡の役割を果たしてくれずマジックミラーの向こう側で煩悶する著者を奇妙な冷静さでもって眺めることしかできなかった。
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2006年07月23日

清く、明るい部屋で

芽むしり仔撃ち
大江 健三郎
4101126038

登場人物たちは皆、汗に、血に、泥に、膿に、垢に、糞尿にまみれて汚れきっている。カミュの『ペスト』とはまた異なるべとついてねばついた汚穢。

戦争末期の日本の深い森の奥で疫病とともに村に監禁された少年達の物語を、空調の効いた、消毒液の匂いに充ちたスポーツジムのラウンジで、洗いたての髪と、洗いたての身体から外国製の香料の匂いを漂わせながら読了するということの、居心地の、悪さ。
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2006年06月27日

だから何よ。

彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄
金井 美恵子
4022642963

朝日文庫版を読了。いきなり丹生谷貴志さんの「あっ」「あっ」(・・・)な解説を引くと

・・・要するに、「勤労−報酬」の「経済」サイクルから陥没してしまった者たちの、マージナリティーの問題、そこでの無益な冗舌? そうだから何なのか?

お見事。

「30歳、定職、彼氏なし」の桃子とその周辺にたむろする編集者の花子、小説家のおばさん(は金井さんの分身であろう)、隣人の岡崎さん、がただ漫然と、すばらしい飲みっぷりと食べっぷりを披露しながら、弟の結婚から女子高生のエンコウ(という言葉はまだ使ってよいのだろうか?)、キティちゃんからモンローにいたるまで、まあとりとめもなく広汎なテーマについてとにかく喋る、喋り倒すのである。「だから何よ」、のスタンスで。

ただ、それだけ。本当に、それだけ。

むしろ危険なのは、何もやることがないという状態からの脱出を夢見始めてしまうことであり、また、やることがない状態を人間が耐えられないと信じ込んでしまうこと―

というのはこれまた丹生谷さんの『死者の挨拶で夜がはじまる』の巻頭におかれたインタビューからの引用であるのだけれども(「あっ」)そういうこと、紅梅荘に集う面々は皆、絶対に、この危険に陥ることは、ない。
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