2008年07月02日

収拾がついてない

兎とよばれた女 (ちくま文庫 や 3-2)
矢川 澄子
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小説、とするには破綻しすぎている。なんだかもう、悲しくて、切なくて、憎らしくて、恨めしくて、それでいて愛おしくてたまらなくて、収拾つかなくなってる感じ。明確に書かないことが想像力をあおりたて、逆により鮮明に、書かなかったはずのことを浮かび上がらせてしまうという構図(巻末の千野帽子さんのおせっかいな解説もあいまって)。「好きで、好きで、好きで、好きで、大好きで、大々好きで、気も狂うほど好き」、だなんてまあ…。澁澤は晩年、たしか兎を飼ったのではなかったかしらん。

に対して神さまとの暮らしを綴った部分は筆が冴えている。けれども教訓として恋愛に神秘主義を持ち出すべきではない。ましてや神格化など。とはいえ一度そのレベルの苛烈さを知ってしまうとどうしても、なんてな個人的な話はさておき、「かぐや姫に関するノート」、その後さしはさまれる天上人による自己弁護、ここまでやるか、のはぐらかし。不思議とあてこすりめいていないのはさすがだが、千野さんも書いてらっしゃる通り、「現実のモデル問題を知ることによって、読み方がここまで影響されてしまうのは虚構作品にとって幸福なことかどうか」。虚構として読むことが非常に難しい作品。だからこそこの大仕掛けを必要とした、ということだろうか。わざとらしく、しらじらしく、痛々しい大仕掛け。きっと書き始めたはいいけれど本当にどうしようもなくなってしまったのだろう。出だしのテンションは素晴らしいだけに、ああ矢川さん、逃げないでほしかった。
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2008年06月27日

不語の果てに

失われた庭
矢川 澄子
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小説、かな。1994年刊。澁澤の著作がずらっと本棚に並んでいる身としては読むのが非常に痛い一冊であった。書くべきなのか、書かざるべきなのか、と躊躇しているさまが伝わってくる。それでも書かずにはいられなかった、のだろう。「けれども逆にそれがあまりにも巧妙に秘め隠されて、双眼の色にすらもはや窺われなくなったとすれば、その方がむしろ危険な徴候ではなかろうか。彼(もしくは彼女)の演技はほとんど完璧であり、こうなるともう周りから、ものや思うとだれかが問いかけてくれるようなことさえなくなってしまうだろう。韜晦が真に迫れば迫るだけ、彼自身は不自然のきわみにとりのこされて、おそるべき孤独地獄におちいってゆくのである」。自己韜晦に陥って感情の自然な発露を見失い、人知れず悶え苦しむ様は個人的には非常に愛おしいのであるが。

「表現」である以上、その不語の状態は、なんらかの形で知らされなければならない。だが知らされた段階でそれは不語ではなくなってしまう。なんという矛盾だろう。「あの不語の幾年月、自分の拠りどころとなってくれていたものは、なによりもまずそのような矜持にほかならなかった」。矜持=自分の精神力に対する人知れぬ自負、と矢川さんは書く。誰にも知らせない、必ず自分ひとりで耐えてみせる、といったような。このあたりに、ヴェイユの影響を色濃く読み取るのは私だけではないだろう。とはいえ不語は不自然な状態である。いつまでも不自然であるからこそ、とは言っていられない。

もう少し前に、日々つきつけられる不条理に耐えるすべを見つけられずにいたころに、読みたかった。残念ながらあのころ、私には一冊の本を読む余裕はおろか、一枚のCDを聞く余裕もなかったのだけれど。
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2008年06月23日

スプートニクつながり

スプートニクの恋人 (講談社文庫)
村上 春樹
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『ベルカ』以降、私の頭の中はスプートニク2号に乗せられたライカ犬のことでいっぱいだ。下のエントリでリンクをはった記事をはじめ、ネットでいろいろ調べて読んだ。こみ上げる思いはいろいろあるが、どれもまともな言葉にならない。

そんななかで当然引っかかってくるのは本作。スプートニク、と言ったらこれだろ(単純で悪かったね)。作品中にもちょこっとライカ犬のことが出てくるというし。こんなきっかけでもなけりゃ一生読まないし。

でさらっと一晩で読んだのだが明らかにあなた手抜きしたでしょう、というのが伝わってくる残念な作品である。村上春樹の力量からいってもっと書けるはずなのだ、もっと切ない言葉を並べたて、胸をえぐるような情景をこれでもか、ともりこんで、さらには登場人物の何人かが井戸に落ち、何人かが死ねば、ねじまき鳥やハードボイルド・ワンダーランドを超える作品になりえたかもしれない。なにせ主題は孤独とドッペルゲンガーなのだから。

「ぼくは目を閉じ、耳を澄ませ、地球の引力を唯ひとつの絆として天空を通過しつづけているスプートニクの末裔たちのことを思った。彼らは孤独な金属の塊として、さえぎるものもない宇宙の暗黒の中でふとめぐり会い、すれ違い、そして永遠に別れていくのだ。かわす言葉もなく、結ぶ約束もなく。」

という、村上春樹一流のリリシズムに満ちた一節はとても美しいが、物語世界とうまくかみあっていないところが悲しい。すみれもミュウもぼくも、そう、絶対に、孤独な金属の塊に乗せられたライカ犬の孤独にはかなわない。恋だの愛だのといったって、人の孤独なんか、たかが知れている。
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2008年06月21日

吠えろ、ベルカ。

ベルカ、吠えないのか? (文春文庫 ふ 25-2)
古川 日出男
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タイトルが最高じゃないか、ベルカ、吠えないのか。即買い、即読み。「エンタテイメントと純文学の幸福なハイブリッド」。これは犬の、軍用犬の年代記。第二次世界大戦にはじまり、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、アフガン戦争を経て、チェチェン紛争まで、20世紀の戦いに翻弄される戦う犬たちの物語。なんだ、このへんてこな文章は。問いかけるような、問いただすような、悪ふざけのような(怪犬仮面が出てきたときはさすがに吹いた)、それでいて熱っぽい、まるで爆発したがっているような、不可思議な文章は、と思っていたら作者の古川氏はZAZEN BOYZの向井秀徳と共闘しているそうである、なるほど、HEAVY METALLICなわけだ。純文学に慣れてきっているものだからこの壊れた文体ははじめ非常に読みづらかったのだが、一度リズムに乗ると意外にスピードが出る。行け、犬よ、もっと行け、殖えろ、吠えろ、そして戦え、壊せ、ってな感じ。この疾走する想像力の根底にはスプートニク2号に乗せられたライカ犬の存在があるのだろう(参考→こちら)。「老人」は大気圏突入時に燃え尽きた(と当作品中ではされている)ライカの頭がい骨を地球儀の中に神体の如く祀っている。人間どもの争いに忠実につき従った犬たちへの鎮魂歌であり、オマージュでもあるような快作。吠えろ吠えろベルカ。きっとそのうち私も吠える(すぐその気になる・笑)。
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2008年06月17日

松浦理英子もかわった。

裏ヴァージョン (文春文庫 ま 20-1)
松浦 理英子
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松浦理英子、というその名前を目にするだけで口のなかに甘酸っぱさが広がる。高校生の頃、いったい何度その名を口にしただろう。その名にまつわるあれやこれやの記憶。『葬儀の日』はバイブルだった。『ナチュラル・ウーマン』は教科書だった。あれから何年。まるで反動のようにその名を避けて通るようになったのは、私が「花世」をなくしたからだ───

そんな感傷はさておきもうこの『裏ヴァージョン』からも8年である、ずいぶんひどいタイトルだなと思いながら手が伸びなかったのは2000年といえば神経衰弱に陥り始めていた頃であるから仕方がないとして、後半部分で展開される壮絶な罵り合いを読むにあたって、逆に今まで読まずにいて良かったと思った。『ナチュラル・ウーマン』の後日譚として読むのはまったく正しい読み方ではないとは思うが、あの彼女たちもきっとこんなふうであろう。

「早死にするかと思ってたら四十まで生きちゃって。何てカッコ悪いの。早々に死んでりゃ良かったのよ。言ってやりたかった、じっと部屋に籠もって世界を呪ってて何になるの? 無気力なあなたはそういう生活が性に合ってるんでしょ? 経済大国のオタクは貧乏なくせに貴族みたいな生き方をするのよね、滑稽きわまりないわよ」、のくだりなんて、「花世」がいかにも言いそうな科白だ。

こんなふうに意地悪にしたたかにひねくれていくことができるならそれも悪くない。歳をとるのが楽しみになってきた。『犬身』に俄然期待が高まるというもの。
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2008年05月30日

まっとうな。

夏の流れ―丸山健二初期作品集 (講談社文芸文庫)
丸山 健二
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解説で茂木健一郎がジョイスの『ダブリン市民』に準えている。丸山健二のデビュー作、芥川賞受賞作。『争いの樹の下で』はそういわれてみればたしかに樹齢千年の樹木が「おまえ」に向かって語りかけるという実験的な構造をもった小説なのであった。圧倒的な内容が、文体だの構造だのといった小手先の小細工を完全に凌駕していたから気にもかけなかったけれど。日常の光景の周辺を描いた7篇の短篇がおさめられた本作は、たしかに伝統的手法にのっとった「これが小説です」といった趣きをもっていて、安心(?)する。

もうすぐ公開される小林薫主演の映画『休暇』(吉村昭原作)も刑務官の話だが、表題作「夏の流れ」は同じような主題を扱っているにも関わらず、人の不幸の上に成り立つ幸福、といったような明確な焦点がなく、人の命を奪う職業の情景を、贅肉をそぎ落とした簡潔な文体で淡々と描いている。その冷静なトーンに驚く。なるほど『ダブリン市民』はこれほんとにあのジョイスが書いたの、と誰もが思うであろう「まっとう」な作品で、たしかに本作もこれほんとに『争いの樹の下で』を書いた人が書いたの、と思うようなまっとうすぎる作品である。このまっとうな作品を物す力量、確実な下地があってこそ、なのだな、というのがよく分かった。
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2008年05月29日

圧倒的体験

争いの樹の下で〈上〉 (新潮文庫)
丸山 健二
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争いの樹の下で〈下〉 (新潮文庫)
丸山 健二
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圧倒的な否定と、絶対的な肯定と。上巻の1頁目を開いたその瞬間から下巻の最後の1頁を読み終えるまで、一瞬たりとも気を緩めることのできない緊張感が続く。今の日本には独裁者を受け入れるほど右傾するような情熱はない。慈善事業のように援助をばらまくことはしても、国交を絶ってまで孤立するような勇気もない。それにこの流れゆく者の在り方はとうてい肯定できるようなものではない、それでも、この全篇を貫く異常なまでの力といったら。硬度の高い言葉でたたきつけられる否定の数々、限りなく深いところから滲み出る力強い肯定の数々。すべての言葉を心に刻みつけたい。それで足りなければ身体に刻みこみたい。稚拙な言葉でやみくもに不平不満を吐き出して澱んでいるだけの厭世主義者、そういうものさ、仕方がない、と哀しく笑ってみせるしか能のない敗北主義者、皆々揃って頭を垂れて読むと良い。雷に打たれるかのように打ちのめされる瞬間が何度もあった。はっきりいってプロットは破綻しているし、そこここに論理の矛盾があることもたしかだけれど、もはやそんな些細なことはどうでもいい。こんな読書体験は、そうあるものではない。
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2008年05月27日

プライヴェートなフィクションとして

河馬に噛まれる (講談社文庫)
大江 健三郎
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そろそろ巨匠はおなかいっぱいになりつつあるのだけれど、浅間山荘事件をモデルに書かれたもの、と聞きかじったので頑張ってみた。果たしてこれは小説か。文中読者の心理を代弁してくれていそうな一文がある。

「あなたは自分の小説に、私たちをふくめていろんな人たちの個人的な事情を書きました。もちろんヒカリさんと御家族が誰より被害をこうむっていられるのですが、あなたの書き方はフィクション化を自由に行いながら、個人的な生活を素材にstoryを作っていくやり方ですね」

そのとおり、そのとおり(と実際大江氏も書く)。フィクションのなかにプライヴェートを溶かし込む形で(或いはその逆の手法で)、まるでノンフィクションのような「小説」として話は進んでいくのだが、実在の人物や実際の事件が透けてみえてきて、どうも小首を傾げたくなる。文化人類学者のYは明らかに山口昌男だろうし、バリ島研究のNは中村雄二郎だろう。これは巨匠一流のアンガージュマンなのだろうか、こうして現実からほんの少しずれた世界を描くことで現実にコミットしていこうとしているのだろうか、だとしたらそのもくろみはたぶん失敗に終わっている。「個人的な体験」の域を脱していない。極めて温和な、水準の高いインテリの、気弱なやり方で、いったい誰を「励まして」いるつもりか。あとは『さようなら、私の本よ!』で仕上げをしたらしばらく読まない、ような気がする。
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2008年05月22日

完璧

もののたはむれ (文春文庫)
松浦 寿輝
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学術雑誌や文芸誌ではよくその文章を読むのだけれど、「小説家松浦寿輝」を読むのははじめて。完璧すぎて怖いくらい。まるで無駄のない、よどみない、流麗な日本語。そしてすきのない、ぶれのない、見事な構成。長すぎず、短すぎずの14の短篇のすべてがそれぞれに完全無比の小宇宙を形成している。そこはかとなく頽廃、そこはかとなく不思議、そこはかとなく憂愁。おそれいりました。あえていえば、完璧すぎて体温を感じないことくらいか(それってひょっとして致命的…?)。
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2008年05月17日

ほのぼの。

みいら採り猟奇譚 (新潮文庫)
河野 多恵子
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前々から読んでみたかった、ほのぼのサドマゾ小説。ほのぼのなんて叱られるかもしれないけど。河野多恵子はうちの祖母とほぼ同い年。この小説の主人公である比奈子さんも昭和16年に高等女学校を出たばかり、とあるのでだいたい著者と同年代。わお。

内科医の正隆さんと結婚した比奈子さんは正隆さんの意向に沿う形でサディストに育てられていくのだけれど、その過程が第二次世界大戦中だというのになんともいえずほのぼのとしていて、読んでいて心があったまってしまうのだ。スパンキングの光景などもほほえましいかぎりである。「やっぱり、この人は小さいや」と繰り返す正隆さんが比奈子さんをすっぽりと抱きすくめるところなど大変素晴らしい。家のそとでは戦争という極めて男性的な暴力が荒れ狂っているのに、燈火統制のしかれた薄暗い家のなかでは小さい比奈子さんが大きな正隆さんを鋏で打ちすえるのだからたまらない。ラストもまるで夢のようである。願わくは空駆けるペガサスの夢をかなえたまえ。
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2008年05月09日

通じない。

「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち (新潮文庫)
大江 健三郎
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こないだ読んだ『新しい人よ眼ざめよ』はウィリアム・ブレイクを基調に据えていたのだが今作はマルカム・ラウリーである。はて、私とだいたい同世代の人々のなかでマルカム・ラウリーと聞いてピンとくる人がいったいどのくらいいるか。私は大学は英文科だが(といって威張るほどまじめな学生だったわけではないが)はっきりいって存在すら知らないまま卒業した。たまたま大学院にあがってから、ゼミで読んでいた『Gnosis and Literature』という20世紀文学とグノーシス主義を関連付けて論じた文章のなかでその名前を見かけ、英文学が専門である指導教官に『活火山の下で』を読んだことがないんですか! と仰天された、のでかろうじて知っている。その後いつか読まなきゃなー、と思いつつ放置、で今に至っている。

新しい世界の文学〈第35〉活火山の下 (1966年)
マルカム・ラウリー 加納 秀夫
B000JAVAE6

(だって高いし。8000えんて。)

要するに、若い世代(って言っていいよね・笑)にとっては「それ、誰?」なわけで、レインツリーをめぐる短編の底に流れているはずのマルカム・ラウリーという固有名詞が想像させる気分を大江氏と共有することができないのだ。これを機会に今度こそ図書館で借りてこようと思うが。

この作品じたいは、ハワイからメキシコ、そしてまたハワイでの大江氏の体験を独特の悪文で綴った小説、なのかエッセイ、なのか、非常に読みにくい、つかみどころのない文章であって、なぜ私はこれを読もうとするのだろうか、という疑問がつい頭をかすめるような、困った一冊である。最初の3篇はそれなりに、ぐねぐねと捩れながらも高安カッチャンという強烈な個の周辺を巡り、ひとつながりの短編として連続性を保っているけれども、最後の1篇はラウリーへのこじつけのような言及もなく、大江氏の通うプールでの暗い事件だけが書かれるのでぽかん、と浮いた印象がある。まあ私としてはこの悪文に寄り添う時間を持つことが目的であるので別にかまわないのだけど、はずれ、な感じは否めない。若い世代(って言っちゃうけど)には通じない作品だろう、とも思う。
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2008年04月23日

個人的な解釈

新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫)
大江 健三郎
4061837540

『同時代ゲーム』では少々躓いたのだがこれはウィリアム・ブレイクの詩句になぞらえる形で書かれたイーヨー譚。暴力的に要約するとイーヨーも大人になったからこれからはイーヨーじゃなくて光さん、って呼ばないとね、というそれだけのことなのに巨匠はさすがに荘厳な装飾をやってのける。

けれどもこの荘厳な装飾はすべて大江氏の「個人的な体験」ではないのか。すべて大江氏とイーヨー(=光氏)のために書かれた定義集であって、この文章は我々読者の存在をはじめから疎外しているのではないか。そういう苛立ち(或いは嫉妬?)が読み進むにつれて蓄積されていく。その苛立ち/嫉妬は「鎖につながれたる魂をして」で非常に卑怯な取引を迫る革命家の行動に直結していく。ああ、大江さん、お願いだからイーヨーのことばかり書くのはやめてください、どうか、貴方のその知性と、その文体で、この世界のことを、この世界の絶望を、この世界の闇と挫折を、この世界の堕落と腐敗を、そしてできるならばこの世界の再生と復活を、貴方のその過敏な想像力でもって、描き出してはくれますまいか…。

『洪水はわが魂に及び』のジン(=イーヨー)がそうであったように、この作品でもイーヨーは神々しいまでに無垢な、愛らしい存在として登場する。「パパ、よく眠れませんか? 僕がいなくなっても、眠れるかな? 元気を出して眠っていただきます!」といったように、太字で書かれる科白はどれも、ユーモアに満ちていて笑いを誘う。だがそのイーヨーに対して、「ティルザに」の一節をもってくる残酷さ(「地獄の格言」からのあの一節だけで十分じゃないか!)に頭を殴られたような衝撃を受ける。残酷さ、というのは少し違うのかもしれない、露悪趣味、のほうが近いかもしれない。ここまでのことを読んでしまっていいのだろうかという戸惑いを、どうしても感じてしまう。

ブレイクの「ある一解釈」として非常に水準の高いものであることは間違いがない。だが、それは大江氏の、イーヨーにあてた、イーヨーのためだけの、個人的な解釈であって、読んでいて若干、さみしい。

ちなみに鶴見俊輔の解説がひどい。講談社文芸文庫版をお勧めする。
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2008年04月20日

さらさらと

妊娠カレンダー (文春文庫)
小川 洋子
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運良く古書店で入手。前から読んでみたかった。

さらさらとした筆致でさらさらとした悪意をさらさら描いた表題作。まるで体温を感じさせない淡泊さがすごい。妊娠、という語が連想させる強い感情とはまるで無縁。そしてさらさらとした筆致がそこはかとない恐怖をあおる「ドミトリイ」。これは怖い。サスペンス仕立て。それからさらさらとした筆致でさらさらと日常を描いた「夕暮れの給食室と雨のプール」。何も起こらず何も提示されず何も表現していないのにもかかわらず確実に物語は進みうすぼんやりした読後感が残る。

禁欲的で、質素で、控え目で、清潔で、とても整った文章。とても憧れる。
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2008年04月12日

とおくはなれてそばにいて

とおくはなれてそばにいて―村上龍恋愛短編選集
村上 龍
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くどいようだが暴力的な村上龍は好きで変態セックスとグルメの村上龍が嫌いだ。ネットでいろいろ見ていたときにとても素敵な一節を見つけた、それは『スザンヌ』からの引用であるらしい、だから買った。「もうすぐちゃんと終りが来る。優しい優しい終りが来る」、というなんでもない一節なのだけれど、部屋と同化し朽ちながら待つ女の言葉として優雅さすら漂っており、非常に好感が持てた。

けれども恋愛短編選集である本作には私が以前文庫本を放り投げた『トパーズ』から二篇選ばれており、なおかつもっとも最低すぎて鮮明に印象に残っている『卵』が収録されていた。もう二度と読みたくないと思っていたが怖いものみたさで読み返すとやっぱり気分が悪かった、ああいう物語を男に書いてほしくないのだ。

あとは概して年収の高い中年男と容姿のいい女の豪勢なセックスとグルメの話である。そのなかでこれだけは良かった一節。「それをやってれば、どこにも行かなくて済むっていうものを見つけなさい。それができなかったら、あんたは結局、行きたくもないところへ行かなくてはいけない羽目になるわけよ」(『ワイルド・エンジェル』)。私はどこへも行きたくない。だからどこにも行かなくて済むような言い訳が、完璧な言い訳がほしい。

あともうひとつ、このタイトルはいいね。
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2008年04月08日

決してベトナム戦記ではない

輝ける闇 (新潮文庫)
開高 健
410112809X

絶対的な経験を前にしてただ通りすがりに読んだだけの者が無駄な言葉を付け足す必要は一切ない。そうした沈黙を強いるような経験を求めることのあざとさ或いは卑しさについての痛々しい自覚までもがもうすでに書きこまれている。なぜここまでして戦うのだろう。この人が戦っているものの正体はなんだろう。ものを書くということは、ここまで残酷に人を追い詰め得るのか。
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2008年04月01日

絶望の国のファンタジー

希望の国のエクソダス (文春文庫)
村上 龍
4167190052

なんとなく暴力が足りないものだから。『コインロッカー・ベイビーズ』と『愛と幻想のファシズム』のために私にとって村上龍という作家はつねに暴力的なイメージとともにある。ほかの作品は知らない、爛熟したセックスも、肝臓がとろけそうな饗宴も、べつにどうでもいい。だから『コックサッカーブルース』で吐きそうになって以降読みたいとも思ってなかったのだけど、もしかしたらね、という淡い希望があって、読んでみたらこれは経済革命譚であった。

たぶんこの人には明快なヴィジョンがあるんだろう。この国を変えるための。だが悲しいかなこの人は小説家であって、この小説に描かれているような事態はファンタジーでしかない。こんな中学生がどこにいる?氏が過剰な期待を寄せていたと思われる萌芽期のネットワークは成熟を迎えるどころか非常にレベルの低いところで惰性化し、出口を失って、生産性もなければ流通性もないひまつぶしツールと化している。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」、という言葉は真実として響くとしても、それだけだ。この小説が描き出すファンタジーの中にも希望はなく、そうしてエクソダスもない。ただ、しばらく読まなかった間にずいぶん村上龍もかわったんだな、と思えたことは収穫だった。
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2008年03月31日

激しさと極端さの頂点で

幾度目かの最期―久坂葉子作品集 (講談社文芸文庫)
久坂 葉子
406198425X

美しいタイトルにひかれ手に取る。何の屈託もない、はじけるような著者の笑顔もまた美しいが、なのにこの強烈な自意識に貫かれた文字列はどうしてこんなに、醜いのか。

意味のない死だ。犬死にだ。苛立つ。腹立たしい。生き延びて、ほんとうの恥ずかしさをもっと知ったならば、もっと哀切なものが書けたであろうに。身勝手に、性急に、己の欲望を爆発させてこの人は散っていったのだ。たぶん羨ましいからこんなに苛立つ。色恋沙汰で死ぬの生きるのといえるような、燃えさかる情熱なんてとっくに忘れた。激しさと極端さの頂点で書かれた文字列が鮮烈さを放っているのは当然のことで、それは人生のある時期にしか書くことができず、決定的にその時期を逸してしまった以上、保身に走る起伏のない日々を耐えるしかなく、そしてそういう視点からこの文字列を眺めると、その潔さが羨ましくて、羨ましくて、ついつい恨みごとのひとつも言いたくなる。
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2008年02月04日

レター教室とはいうけれど

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)
三島 由紀夫
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大年増の英語教師氷ママ子さんとデザイナーの山トビ夫さん、若くて可愛いOL空ミツ子さんと演劇青年炎タケルくん、テレビおたくの丸トラ一くんの間で交わされる手紙だけで構成される抱腹絶倒のドタバタ喜劇。三島ってすごいね、こんなことも書けるんだ、という。

極限までデフォルメされた各登場人物のこれまた型にはまった手紙のいちいちが面白い。これを書いていたとき三島はいったいどんな顔をしていたんだろう。ばからしいぜ、とにやにやしながら、そして最後の最後にはきちんと毒を盛ることも忘れず。

「世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです」。

手紙から電話の時代になって電話からメールの時代になって、そしてメールからブログの時代になって。あなたがどこで何をして誰に会って何を見て聞いて読んで何を食べようが、画面の向こう側にいる人にとってはどうでもいい話、「ふうん、あっそう」で終わる話なんだという自覚がますます必要な時代、他人にモノを読ませるにはこれだけの技量が必要なのだ、ということが身にしみてよくわかる一冊。
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2008年01月25日

青い宝石のような

ラピスラズリ
山尾 悠子
4336045224

薄青の函のなかにはぶーぶー紙に包まれた鮮やかな青の布張りの本。手にするだけで幸せな、青い宝石のような一冊。

登場人物はみな冬を眠ってしまう。冒頭、三枚の銅版画をめぐる画廊の店主との対話。「画題をお知りになりたくはありませんか」。わたしは問う、「誰の何という小説の挿絵なのだろう」。「これは冬眠者のものがたりでございますね」。三枚の銅版画はこれから筆者によって描かれようとする物語の挿絵となる。

冬を眠ってしまう、という突飛な発想にも関わらず浮いた表現が一切ない。硬質で、厳格で、冷え切った石のような感覚。ラピスラズリ、というタイトルは素晴らしい。小説の世界観をひとことで表現している。
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2008年01月24日

同時代ゲーム

同時代ゲーム (新潮文庫)
大江 健三郎

年明けから読み切れぬままにぐだぐだと。今日の朝無理矢理のように読了。

以下四方田犬彦氏の解説より。

「70年代がまさに終わろうとする1979年に500頁近い書き下ろし長編として発表されたこの小説は、当時実にさまざまの毀誉褒貶を巻きおこした。批評家たちは一方で、作者の特異な想像力の質を賞賛し、前代未聞の神話の読み替え行為に積極的な意義を認めようとした。純文学のSF化が状況論として語られたこともある。もう一方では、恐ろしく冗長で退屈な読み物にすぎないという否定的裁断がなされ、文化ファッションとしての人類学を不器用に使用した高級なパズルにすぎないという非難すらあった。」

感想として個人的に後者を。なんせ埋め込まれた出来事の数が半端ではなく、そのたびにひとつのモチーフが描写を少しずつ変えながら、繰り返し繰り返し挿入され、冗長さ、退屈さをあおる。村=国家=小宇宙の発生から消滅までを年代記として記すのであるから、膨大な出来事が綴られることは当然予想できるが、ここまで執拗な語り口であらねばならなかったものなのかどうか。

苛烈な税の取り立てから逃れるために二人で一つの戸籍を共有する、という、国家への反逆行為が50日戦争という悲劇へなだれ込んでいく様はさすがにおもしろかったが。

ただこれを和製『ガルガンチュワとパンダグリュエル物語』とするには、ユーモアが足りない。

(この人の小説において身体を朱に染めることがいったいどのような意味を持っているのだろうか?)

この閉塞から何が生まれるのかは『新しい人よ眼ざめよ』を読まねばならない。
posted by nadja. at 04:05| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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