2008年10月02日

解体のこころみ

哲学者の密室 (創元推理文庫)
笠井 潔
4488415040

ついに読了、1160ページ、厚さ4.5センチのお化け文庫本。とはいえそんな「大部」のものを読んだという感じはあんまりしない。あの地獄的に読みにくい(というかいまだに読了できていない)『テロルの現象学―観念批判論序説』に比べたら文章もつらつらとスムーズに流れて読みやすく、なんといっても本書で俎上に上げられているのはマルティン・ハルバッハ、失笑がこみあげてくるぐらい、おもいっきりマルティン・ハイデガーでしかない老哲学者の「死の哲学」、おまけにエマニュエル・ガドナス、これまたエマニュエル・レヴィナスの、「イリヤ」の思想までもが副菜として添えられているのだから、なまじ哲学をかじったことのある身としては面白くないわけがないのだ。

今回もまた的外れな推理を自信たっぷりに披瀝するナディア・モガールはこの際横っちょに置いておく。えー、それはちょっと、という密室トリックも、どこからそんな推理を導き出すのかさっぱり不明な矢吹駆の本質直観もさほど興味はない。「ナチズムとハイデガー」。もうこれだけでおなかいっぱい。人間の至高性を保証する死、英雄的な死、という観念を1160ページでじっくり解体する試み。補助線として用いられるレヴィナスの「イリヤ」はかなり単純化されすぎている気がするが、あくまで「推理小説」である以上、形而下に引き下げたうえで展開されるがゆえに非常に分かりやすい言葉が用いられており(ナディア・モガールの「あほっぽさ」は日常感覚を際立たせるのに一役買っている)、とても分かりやすいハイデガー批判の参考書たりえている。もちろんハルバッハ、とされている以上、同一視してはならないし、史実とは異なる設定(ネタバレになるから書かないけどえーそれはいいのか、ほんとにいいのか、と何度も思ったことですよ)もあるため、はなはだしい誤解を生む可能性もある。それでも、この死の観念を巡るハイデガーからレヴィナスへ、という仕掛けはとてもスリリングで、おそらく私自身のなかにもあったに違いないハイデガー哲学の身勝手な引用、今となっては恥ずかしさの感覚と一緒に思い起こされるテーゼ、もまた、ゆるやかに解体されていく心地よさを味わった。補助文献としてアガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』なんぞを読んでみるのもよろしいかも。

第5作は『オイディプス症候群』なんだとか。次はあれか、あれなのか!?
posted by nadja. at 20:12| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

解決しないことだらけ

マークスの山(上)(下) 講談社文庫 高村 薫
マークスの山(上) 講談社文庫

マークスの山 講談社文庫


ついでなのでざっくり読み返す。『レディ・ジョーカー』を読んでいて、あれ、合田刑事ってこんなキャラだったっけな、と思い。前回読んだのがいつだったのかもう思い出せず、前回読んだのが文庫版だったのかそうでなかったのかもあいまい、ただなんとなく、MARKS、という頭文字を追っていく話だったこと、山の話だったことだけは覚えていた。

『レディ・ジョーカー』では社長のカバン持ちをさせられながらも超人なみの千里眼と地獄耳を発揮する、牙をもがれたライオンのような印象の合田刑事だったが、『マークス』ではライオンさながらである。関西弁で吠えまくり、上司にたてつき、部下を鼓舞し、管轄を越権する。この熱さを彼はどの段階で失ったのだろう? 『レディ・ジョーカー』ではキリスト者として登場した合田刑事だが『マークス』ではその片鱗もない。ヴァイオリンも弾かない、なにせ悩み深い人であることは両作品に共通しているが。なかなか興味深いキャラである。『照柿』にも登場している、とか。これも読んだような読んでないような、たぶん母親の本棚をひっくり返せば出てくるだろうから、機会があったら再読するか。

次は、次は、とページを繰らせる構成はさすがである。だが「ミステリ」としてはまったく消化不良。動機は不明、経緯も不明、そもそも犯罪の端緒となるはずのきっかけを、重度の健忘を患っている「犯人」がいかにしてつかんだのかも不明、不明不明不明、でまたしてもカタルシスの欠如。この欠如が凡百の「ミステリ」との差異なのだと言われればそれまでなのだが、私自身はすとんと落ちる謎解きの瞬間の爽快感を求めてこそミステリを読むので、やっぱり読後感がよろしくない。この割り切れなさが「リアルな筆致」と言われるゆえんなのだろうか、世の中、解決しないことだらけだもんね。
posted by nadja. at 14:04| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

めくるめくノヴァーリス

ノヴァーリスの引用 (集英社文庫)
奥泉 光
4087475816

ミステリ、ではない、か。

本を読む時間がないのであるかなきかの短い通勤時間を精一杯活用してのつこつのつこつ、やっと読み終えた。あー面白かった。

何が面白いってミステリ仕立ての展開の中にマニ教から霊肉二元論からマルクスからドイツロマン派までごった煮でぐっちゃり詰まっているからで、特に酩酊状態の夢想(?)のなかでの石塚の主張にはぐぅとうなりたくなるものがあった。笠井潔の企てとは違って、うまいこと咀嚼されてうまいこと文学に昇華されている。時間ができたらもう一回読み直したい(えらそうなこと言っちゃって笠井氏の『哲学者の密室』は未読、これもそのうち読みたい)。

と に か く 本 を 読 み た い。
posted by nadja. at 00:44| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

稀代の悪女ねぇ。

幻夜
東野 圭吾
4087461343

胃炎でダウンして寝てたので安静のお供に。どうやら母がはまったらしく実家には東野サンの本山積み。ちょっと前に読んだ『白夜行』の第2弾らしい。明確に続編とはされていないようだが、稀代の悪女(それは当然とびきりの美女である)が影となる男を使って「成功」への階段をひたのぼる、という筋立ては同じ。『白夜行』は1992年の12月24日で終わっていて、『幻夜』は1995年1月17日にはじまる。なのでまあ、続編なんだろう。

同一人物であろうがなかろうがいいんだけど、今回の女主人公美冬は関西弁を使うせいか雪穂よりもずっと欲が深く、がめつくなったなあ、という印象が。言ってることも陳腐だし(あたしらの幸せのためにはこうするしかないんよ、といったような)。幸せって何ですか、お金をたくさん手に入れることですか、地位を手に入れることですか、いつまでも若さを保つことですか、世間に勝つってどういうことですか、と美冬サンに聞いてみたいが、前作と同じく心理面は一切カット。事件がどーんと提示されるだけで何故そうするに到ったか、の部分は何も描かれない。なのに文庫本で779Pの大容量。それぞれの「事件」のつじつまをあわせるためのディテールにかなりの分量が割かれている、んだけどやっぱり「そんなにうまくいくもんかね」と思わざるを得ないところも前作と同じ。今作ではより怪物性を増した女主人公が、どうも三部作らしいので、この先どう化けるのか、ちょっと楽しみ。稀代の悪女が何を思い何を望んでいるのか、そのへんも読んでみたい。
以下ネタバレ追記。
posted by nadja. at 20:40| Comment(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

RPGミステリ

白夜行 (集英社文庫)
東野 圭吾
4087474399

『ガリレオ』では非常にお世話になった(笑)し、実家にあったから読んでみた。これってドラマ化すればうけるだろうな、と思ってたらちゃっかりされてた。全然知らなかった。これだからテレビ見ない人間は…。

かなり分厚いけれどもとても読みやすくできている。ミステリとしては「犯人」が話の筋のなかでかなりはっきり暗示されるので謎解きとしての面白さは皆無。ただ、昭和49年からの時代描写が懐かしく、また大阪で生まれ育ったものとしては登場する地名にうんうん、とうなづくのも楽しかった。展開が派手で、あえていえば陳腐で、先の筋立てもだいたい分かってしまうのについついページを繰ってしまうのはRPGと同じこと、完全に思考停止したうえで、気持ち良く物語の流れにのせてもらえば一気にラスト。ときにはこういう楽ちんな読書体験も良い。こないだ

容疑者Xの献身
東野 圭吾
4163238603

も読んだ。こちらは謎は謎として残されたまま物語は進む。途中でだいたいのところは読めてしまうのだけど、それでも一応「ミステリ仕立て」。自分ひとりが悪者になろうとすることも、あまりに人を愛しすぎることも罪なのであって、絶対的な献身に人は耐えられない。シモーヌ・ヴェイユの哲学が罪深い理由もおそらくそのへんににある。そんなことをぼんやり考えたこちらのラストはなかなか。映画化楽しみにしてます(笑)。
posted by nadja. at 02:51| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月04日

壮大な実験ではあるが

ウロボロスの偽書〈上〉
竹本 健治
4062734583

ウロボロスの偽書〈下〉
竹本 健治
4062734591

読み物として面白いのはたしかだけれど、コンセプト負けしてるような気もする。ゲーム三部作は事前に読む必要なし。現実が虚構を侵食/虚構が現実を侵食/するというウロボロス構造は読んでいてそれなりにほぅ、と思うのだが、雑だ、というのが正直な感想。よくもわるくもまさにウロボロスで、2冊の文庫本の中で完全に自己完結している。『虚無への供物』のようにこちらがわに食ってかかってくるような凄みと風格にも欠けていた。壮大な実験ではあるのだけれど。
posted by nadja. at 01:54| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月22日

竹本健治三冊

囲碁殺人事件 (創元推理文庫) 将棋殺人事件 トランプ殺人事件

『ウロボロスの偽書』を読むために。囲碁も将棋もコントラクト・ブリッジもまったく分からないのでいまいち分かった感はしないがまあ、面白かった。失読症と、統合失調と、それから虚構(理論)と。そんなのをネタにもってくるなんてまったくもって反則技だが、トランプ〜はよく消化されていてにんまりした。クリスティやヴァン・ダインも大好きだけれどこんな反則ミステリも好き。
posted by nadja. at 00:52| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

文学理論殺人事件

作者の死
ギルバート アデア Gilbert Adair 高儀 進
4152078200

ポール・ド・マンがぁぁぁ、ひぃぃぃ、と夜中にもんどりうちながら読む。ハロルド・ブルーム御大やデイヴィッド・ロッジがさりげなく登場しているあたりにもほくそえむ(インフルエンス→インフルエンザには失笑)。裏カバーの著者の写真が知性の塊みたいで怖い。「作者の死」という「ザ・セオリー」が孕んでいる問題点を見事にえぐっている(メタレベルではなくて実際の文学理論での議論におけるレベルにおいて)。理論書はこんなに分かりやすく提示してくれまい。そうだよ、作者が存在しないなら文責はどこに存在するんだ?言語構造そのものの内部に?ネタバレになるから書かないけど犯人が尻尾を出すのが文体の模倣の問題であったあたりに作者の最大の皮肉が込められている。そういう点では面白かったけど、ミステリとしては「金を返してもらいたい気がする」。うはは。
posted by nadja. at 14:58| Comment(1) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

意地悪なのか、やさしいのか

長い長い殺人
宮部 みゆき
4334728278

放っておくとどんどんサボるのでメモ書き程度に気楽に投稿することにする。

『模倣犯』前夜、ともいえる作品。いったい、宮部みゆきさんという人は、意地悪なのか、やさしいのか、意地悪で、なおかつやさしいのか、とにかく、鋭すぎて、時折、悲しくなる。悲しい人間の真理を描いていながら、きちんとあたたかい人間が登場するから絶望はせずに済むのだけれど。とびっきりの悪人と、とびっきりの善人のコントラストがいつも胸を打つ。
posted by nadja. at 03:20| Comment(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

いただけないな

薔薇の女―ベランジュ家殺人事件
笠井 潔
4488415032

これはちょっといただけない。ジョルジュ・ルノワール(ジョルジュ・バタイユである)が登場する必然性がまったくなく、差し挟まれている議論も非常に浅薄ではっきりいってどうでも良い。「過剰の蕩尽としての革命ではなく、蕩尽すべき過剰の不在としての革命の不在」(p.230)という一文の前でちょっとだけ頷いた。それに続く「観念を生み出し自らそれを信じ込むことができるという人間の異様な能力は、稀少を成長によってではなく実体のない空虚なもの、つまり観念によって欺瞞的に充填するという倒錯を可能ならしめた」という分析はなるほど、だ。過剰はあちらこちらで不在している。カタルシスとしての過剰が不在になることで観念は充足を求めて肥大し続ける。筆者には『テロルの現象学』という「観念批判論序説」と銘打たれた著作があって、数年前から本棚の肥やし化しているのだけれども、とりあえず読んでみることにしてこの虚しい読書体験の穴を埋めたい。ミステリとしても隙間だらけでどうにも食えない。だいたい話者がころころ変わる都合の良い文章が肌に合わないもので。
posted by nadja. at 19:32| Comment(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

登場してた…

サマー・アポカリプス
笠井 潔
4488415024

「シモーヌ・リュミエール、シモーヌ・リュミエール、僕は今、ほんとうのことを聞きたい。ほんとうのことをだ。君がこうすべきだと考えていることではない。現に君がどうあるかを聞きたい。君の信仰は完璧なのか、絶対に揺らぐことはないのか。(中略)他人の悲惨、他人の不幸が隙間なく君の心を占めつくす時、他者への愛が発作のように君をわしづかみにする時、神への愛は…」(p.397)

シモーヌ・ヴェイユの苛烈さにやられた人は皆この問いを発する。おそるおそる、偽善、という言葉を口にしかけて、そしてどうしてもその言葉だけはふさわしくない、と口を噤む。だがシモーヌ、シモーヌ、という問いかけは続く。答えは書かれた文字の中に見出すことはないだろう。

カタリ派の秘宝をめぐる「ミステリ」はこの際、とんちんかんな推理を自信たっぷりに披瀝する小賢しい小娘ナディアとともにわきにのけておいて(この小娘が非常にいらだたしい。探偵はもうちょっと良いパートナーを持つべきである)、ヴェイユとドストエフスキーの対決として読むとなかなかすごい力技である。だがやはり問いかけは問いかけのまま、終わってしまう。探偵が迫った苛酷な二者択一を前にシモーヌ・リュミエールは沈黙する。ヴェイユが沈黙したのと同じように。

謎解きの部分は、さておくとして、ヴェイユに関心のある方は一読されると良いと思う。シモーヌ・リュミエールのヴェイユっぷりがなかなか楽しい。本編からまったく浮いたところで展開される探偵とシモーヌの問答は鬼気迫るものがある。本編のほうも前作に比べるとご都合主義的な展開が減って面白くなっている。探偵が持ち出すテーマがあまりに壮大すぎて、全体的に不整合を起こしているのは否めないが。

3作目はなんとバタイユなんだそうである(…)。楽しみなような、怖いような。
posted by nadja. at 22:00| Comment(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

とりあえずこれを読んでから。

バイバイ、エンジェル
笠井 潔
4488415016

何かで検索をしたときに、『サマー・アポカリプス』という本がヴェイユをモチーフにしたミステリだ、と聞きかじった。が、それは3部作の2作目で、おまけに前作の犯人の名が文中で明かされているらしい。それならば順番に1作目から読んでいかないと面白味が半減である。というわけで本書。『バイバイ・エンジェル』『サマー・アポカリプス』『薔薇の女』の順でどうぞ。

「ミステリ」としては、あまりにとんとん拍子に話が進みすぎて、おまけにこれは伏線だよな、というのが簡単に分かりすぎて、ちょっと物足りないのだけれど(現象学の「直観」をミステリに持ち込んでしまったら謎解きも何もないのはあたりまえのことで、のちに京極氏も『陰摩羅鬼』で同じことをやらかしている)、そこに半ば無理矢理のように接続された思想問答はなかなか面白かった。それならば『テロルの現象学』を読んだほうが面白いのかもしれないが。

「殉教者こそが高利貸よりも計算高く自分の所有物にしがみつく…殉教者は自分の正義、自分の神を舌で舐めまわすのだ」(p.372)と言い放つ探偵、矢吹駆が、シモーヌの哲学といったいどんな対決をしてくれるのかとても楽しみである。
posted by nadja. at 17:58| Comment(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

圧巻

分冊文庫版 絡新婦の理〈1〉 分冊文庫版 絡新婦の理〈2〉 分冊文庫版 絡新婦の理 (三) 分冊文庫版 絡新婦の理 (四)

先日母が「京極夏彦の新刊が出た」とほっぺたをほころばせて買ってきたので仕方なく(?)読み直す。再読、再々読、いやもっと? とにかく4冊並ぶと圧巻。

一番好きな作品である。何度読み返してもとにかく面白い。もちろん結末は分かっているので粗探しをしながら読むわけだが、あまりに出来すぎている、ということ以外見つからない。この精緻な仕掛けを構築した京極氏の脳味噌という蜘蛛の巣に捕えられ篭絡されるのはえもいわれぬ快感なのだ。

「塗仏の宴」は長すぎて読み返す気になれず、「陰摩羅鬼の瑕」は薄っぺらい。「魍魎の匣」とどっちが好きかと問われたらちょっと迷うけれどやっぱりこっちかな。京極堂がかっこよすぎるのだもの。元々私は妖怪譚が苦手なのでこのような西洋かぶれのほうが肌に合う。決して本流ではないけどグノーシス主義だとかユダヤ教だとかもかんでくるので。
posted by nadja. at 01:26| Comment(2) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

これは一種の戦争でありうる

中井英夫全集〈1〉虚無への供物
中井 英夫
4488070116

人は退屈したとき推理小説を手にするものだ。作者の仕掛ける罠に、罠と知りつつはまり、そうして殺人を「愉しみ」、最上級の犯罪を「期待し」、あざやかな解決を「待ち望む」。そんな事件も殺人も実際にあった試しがないのだから、ミステリ=娯楽小説、の等式は、本を片手にソファに座る我々の脳裏に絶対的な大前提として存在している、はずなのだ。

本書には充分すぎるほどの密室があり、殺人があり、推理があり、暗号があり、謎解きがある。もうその面白さといったらこの創元ライブラリ版で679ページの大部を一気に読みきらせてしまうほどで、随所に顔を出す古今東西のミステリの名作、そして名探偵たちもその筋の話が好きな人なら堪えられない魅力になっている。私などは読んだ端から筋を忘れていってしまうので(というよりも最近では読んだことじたい忘れていってしまうものだからこんなブログを書いているわけだが)、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』やフィルポッツの『赤毛のレドメイン家』あたりは読み返さなきゃならない羽目に陥ってしまったが。

だがこの「虚無への供物」という作品の本当の面白さは、作者塔晶夫(中井英夫)が読者に対して仕掛けたタイマン勝負の只中にこそある。我々は「読む」以上、このタイマンから逃げることができない。絶対に逃げられない巧妙な罠が仕掛けられている。

だからああ退屈だ、などと欠伸をしながら気軽に読み始めるとこてんぱんに打ち負かされる。「読む」という行為の本質は作者と読者の戦いなのである。
posted by nadja. at 11:04| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

妄想小説。

木曜の男
G.K.チェスタトン 吉田 健一
4488110061

創元推理文庫なもんだから「ミステリ」にしたけれどもこの物語はおよそ半分を過ぎたあたりでころりとその表情をかえる。ひどい。ひどいけど深い。深いけど腹が立つ。腹が立つけど面白い。面白いけど分からない。分からないけどしてやられたと思う。してやられたと思うけどよくよく考えれば最初から分かってたような気がする。最初から分かってたような気がするけどまさかそんなことが・・・。

ヨーロッパ無政府主義中央会議、なるものを中心に物語は進行する。日曜、月曜、火曜、といったコードネームを持つ7人の幹部たち。

でピン、と来るべきなのだよな、嗚呼悔しい!!

随所に差し挟まれるチェスタトン一流の風刺や諧謔を楽しむもよし、吉田健一氏の独特の訳文を楽しむもよし(私は苦手)。そしてとことん悔しがるもよし。とにかく「荒唐無稽」な、物語(うわぁすごいヒント)。
posted by nadja. at 06:11| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

民度の問題

「民度が下がっておるのだ」

宮部みゆき「誰か」/光文社カッパノベルズ p.21


なんでもない一文だけれどここ数年の確実な、しかし輪郭のあいまいな「気持ち悪さ」はたしかに民度の低下に由来しているのだ。自分がその低下に参画していないとはまさか考えていない。本作は自転車に衝突されて亡くなった運転手の不運の死が発端になっている。ああ耳が痛い、いや目が痛い。つい先日も小さな女の子にぶつかったばかりだ。幸いギリギリでブレーキをかけたからちょっとかすった、くらいで済んだものの。

誤植。「休学」が「体学」になってた。文章の破綻。「****(人物名)に、**はもういない。私は彼女がそれを認め、それに耐えられるようになるために、ほんの少しだけ手伝いをした。」(p.317)。この場合最初の「****に、」は不要なのだ。こんなのは編集者の怠慢。緩いんだよ、読者をなめんじゃねえ。

・・・そんなのも、何もかもが大量生産、使い捨て、の時代なのだからどうでもいい、って?

なーにが小泉チルドレンだ、誰だよあの杉村とかいうのを議員にしたのは、何が「ついに来た」んだよ、おまえみたいなバカでも議員になれる緩い時代が、民度の低い時代がついに来た、ってことか?

脈絡もなく闇雲に怒りをあらわにする、それも誰が見ているとも知れない「公開された」場で。これもまた民度の低下のあらわれ。
posted by nadja. at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月09日

さらば愛しき女よ/レイモンド・チャンドラー

415070452X.09._SCTHUMBZZZ_.jpg
さらば愛しき女よ/ハヤカワ文庫

かつて好きだった人が熱烈に愛していたのがチャンドラー。それだけの理由でいつか読んでみなくちゃと思い続けて・・・たかだか350ページ前後の小説いやミステリいやギャングやマフィアが出てくるあたりでそれはハードボイルドアクション、を読みきるのに10ヶ月くらいかかりました。ずっとジュンク堂のカバーをかけたままだったのでハヤカワの青だったのかというのも今気づいたくらい。

決して退屈な作品というわけではなく、昨日の夜みたく「読んでやる」と決め込んでがーっと読むと(長く放置しすぎて話の筋を忘れてしまっていた)3時間くらいで読めてしまいます。なんでこんなに読めなかったのか、というとそれはどうも「男のロマン」とかいうものを自分が信じたくない心境だったからで、なおかつ冒頭の人がフィリップ・マーロウのダンディズムを愛していたとしたなら、何故現実があんなに薄っぺらで中身のない男だったのかなとか(以下略)。

とにかく誰しも小説の登場人物に憧れることはありますよね。多分フィリップ・マーロウに憧れている人はたくさんいらっしゃるのでしょう。現実世界はこのようにハードでもなければボイルドでもないのでマーロウになりたいけどなれないのでロマンもへったくれもあったもんじゃない、と、そういうことにしておきましょう、そりゃ私だって「おまえのためなら死ねる」といきなりそのへんの居酒屋なんかで言われたりしたらビール吹き出しちゃうでしょうし。
posted by nadja. at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月05日

すべてがFになる/森博嗣

4062639246.09.THUMBZZZ.jpg
すべてがFになる/講談社文庫

またしてもFになってしまいました。

どんな本でもそうですが、読了して骨子は覚えていても、その細部まではたいてい忘れてしまっているので、読み返してみると色々と新しい発見があったりして楽しいものです。S&Mシリーズで読み返してみたいのはあと「封印再度」と「有限と微小のパン」くらいかなあ。

ところで私は一次関数も解けないバカなので「7だけが孤独だ」というほとんどこのミステリの鍵ともいえるモチーフの意味を理解することができません。

「1から10までの数字を二組に分けてごらんなさい。そして、両方とも、グループの数字を全部かけ合わせるの。二つの積が等しくなることがありますか?」「ありません」萌絵は即答した。「片方のグループには7がありますから、積は7の倍数になりますけど、もう片方には7がないから、等しくはなりません」

この部分を読んでははーんなるほどと思った方は後半部分で展開される10進法とか16進法とかの「謎解き」もははーんなるほどと納得することができるだろうと思うのですけれどははーんなるほどと思えなかった方でも私のように「すげえおもしれえ!」と思うことは可能です(笑)、なんというかもて遊ばれているような、「絶対にどうしても理解できないもの」の前でただすげえすげえと脱力しているような、そんな受動的な楽しみ方が、できます。

そんなどうしても理解できない「理系の壁」をこえてでも私がここまでのめりこんでしまったのは多分、全体に漂っている虚しさの感覚、なんだと思います。文系でも理系でもすべてを突き詰めていったところにあるのは結局、「ある種の虚しさ」であることに、違いはありませんから。
posted by nadja. at 18:21| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月03日

DZ(ディーズィー)/小笠原慧

4043705018.09.THUMBZZZ.jpg
DZ(ディーズィー)/角川文庫

点滴打ってもらったら寒気がとまらなくなっちゃって結局休んじゃいました、ホントはこんなことしてる場合じゃなくて眠らなきゃならないんですけど本書にもある通り「眠るって、何もできないからつまらない」し。

SFなんでしょうか、ミステリなんでしょうか、遺伝子操作のお話です、ES細胞とか染色体がどうしたこうしたとか進化とか。そういうことは一切分からない私ですがそれでも面白く読めました。ただ、序盤舞台があまりに小刻みに入れ替わりすぎます、ヴェトナム、アメリカ、日本、そうして時系列もあいまいで、いったい何年後のことなのか、これはいつの話なのか、見失うことたびたびでした。それはただ単に私が熱出していて意識朦朧としてたせいかもしれませんが。

でもラストがすごいんです。終章の「再生」で驚愕しました、そーいうことかーっと。あまりに雑然と張り巡らされていた複線がぜーんぶすとんとまとまるような感じ。「パラサイト・イヴ」ほど猟奇的ではなく「イエスの遺伝子」ほどウソ臭くはない、サイエンス・ミステリ。

オガサワラ、というのは個人的に非常に気になる名字でもありまして、オガサワラさんの経歴をちらりと調べてみました、「東京大学哲学科中退。東京大学医学部卒。精神科医。」うわーお、そりゃこんな難解な作品も書けるはずですね。
posted by nadja. at 17:43| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月06日

痕跡/パトリシア・コーンウェル

痕跡 痕跡(下)
痕跡 (上)(下)/講談社文庫

昨年の暮れに出たことは知っていたのですが前作「黒蠅」のあまりにとほほな展開についていけず、また今回もとほほほほなんだろうなあ・・・と書店で平積みにされていたこの本の前を素通りし続けていました。だけど母が顔を輝かせて「カーペンターの新しいのん出てたで」と買ってきたので。主人公はスカーペッタですけど。

ついにシリーズも13作目だとか。4作目の「真犯人」とか5作目の「死体農場」は割と面白く読んだ記憶がありますがはっきりいってもう惰性で読んでいます。スカーペッタ、マリーノ、そうしてルーシーといった「キャラ」が完全にできあがっていて(シリーズの途中で主人公が若返ってしまうという反則もあり、ベントンに関してはもう反則すら通りこし、なんでもあり)、作者の頭の中ではもう自動的に話ができていくんだろうな、と思います。だから派手な「事件」は起こらず、瑣末な周辺の事項が細かく書き込まれることになる・・・。

「王家の紋章」状態に陥っちゃったドクター・スカーペッタシリーズが復活することはあるのでしょうか。とかなんとか文句を並べつつもう執筆がはじまっているという第14作目もなんだかんだで読んでいるだろう自分が想像できます。願わくば上下巻に分けるのはよしてほしいです、講談社さん。続きを読む
posted by nadja. at 03:34| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。