2006年04月06日

境界を曖昧にする

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編

4年か5年ぶりくらいに再読。読むたびごとに印象を変えないような本は所有する価値がない、とすればこの本は確実に所有するに値する。

「海辺のカフカ」にもその手法は踏襲されているのだけれど、とにかく確定的なことは何も起こらない。主人公は悪夢のような空間、もしくは行間、虚構の中の虚構をさ迷うだけで、最後の最後になってもなんら確定的な意味をもぎとってくることがない。誰も成長しない。誰も救われない。誰も何も見出さない。圧倒的な無意味に対抗するのは、圧倒的な筆致。

残念なのは第3部があまりにも漠然としすぎていて、あまりにも謎のまま残る部分が多すぎること。読者の想像力を喚起する、という意味では味わい深くもあるけれど、常人の「推測」だとか「想像」をはるかに超え去ったレベルで物語が展開しているため、物語を補完することができない。ナツメグとシナモンの登場になんらの必然性があるのか、主人公が戦っていたものがいったい何者、何物であったのか、クミコは何者、何物に操られていたのか、マミヤ中尉の挿話は何を意味するのか、等々、読後もしばらくはねじまき鳥ワールドが尾を引く。

すべてが繋がっているようで実は何も繋がっていないのかもしれない。

「だからきっとあなたは今、そのことで仕返しされているのよ。いろんなものから。たとえばあなたが捨てちゃおうとした世界から、たとえばあなたが捨てちゃおうと思ったあなた自身から」(第2部 p.169)、という笠原メイの言葉が、私がよく囚われる「自分の過去に復讐される」というイメージの源泉になっていたことに気づいた。

言葉はさまざまな境界をこえていく。


posted by nadja. at 22:22| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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