2008年12月13日

不条理も反抗も

せっかくカミュまでいったから、ついでに『シーシュポスの神話』『反抗的人間』を読み返してやろうと思ったんだけど、読めない。読めないの。まずもって「不条理」という言葉じたいがものすごくなじみのない言葉のように感じられて、最初の1ページ目から自分が拒絶されているように思える。ありえない。恥ずかしいことだけれど、中身をぱらぱらめくればそこにはたくさんの傍線が引いてある。「不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ」、ものすごく的確な傍線であることは分かる、カミュが『シーシュポス』で不条理と呼ぶものはたしかにこの「表象不可能性」であるのだ、けれども「明晰を求める死物狂いの願望」、もうここが無理だ、わたしは不明瞭な地点でまどろむことに慣れていすぎる。

『反抗的人間』にいたってはさらにひどい。「自己の裡に、保存すべき永遠的なものがないとしたら、なぜ反抗するのだろうか?」保存すべき永遠的なもの? そんなものどこにもない。だから「反抗」という概念じたいが初手から無効化されている。それでも、そんなばかな、とページを繰ろうとしても、文字が意味を結ばない。

おまえには、もう、読む資格がないのだよ、と突き放されている気がして、とても悲しい今日である。
posted by nadja. at 21:11| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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