2008年09月13日

カタルシスの欠如

レディ・ジョーカー〈上〉〈下〉
高村 薫
4620105791

レディ・ジョーカー

なかなか文庫にならないものだからもうハードカバーでいいことにした。村氏は文庫化にあたってばっさりと構成を変えてくる人だが、今作は緻密にすぎる筆がしんどかった。実質2日で読み終えた自分もどうかと思うが(二段組の上下二巻だもの。おかげで目が痛い)。

日之出ビール(エンブレムは金色の鳳凰である。アサヒビールとキリンビールを足して2で割ったようなネーミングが絶妙)社長誘拐事件とそれに続く身代金要求、という「事件」は確かに起こるのだが、超巨大企業をとりまくシステムは「事件」の解決を許さない。犯人でさえ、不気味なシステムの見えざる手によって葬り去られていく。その過程に戦慄する。『リヴィエラを撃て』とか『黄金を抱いて翔べ』のような爽快な犯罪モノとはまったく異なり、胸いっぱいに重い砂を飲まされたような読後感が残る。裁かれることもなく許されることもなく、どろりとした流れのなかに飲み込まれていく悪の数々は結局個々人の内側で、消化されるか黙殺されるしかない。指差し機能も自浄作用も失ったどん詰まりのシステムを前に呻吟する男たち(女たち、は驚くほどに排除されている)。「ジョーカー」とは「解決しえぬもの」の別称でもあるのだろう。

最終的にジョーカーを引かされるのは読者である、という、このカタルシスの欠如はいかんともしがたい。作中、根来から加納へはついに手渡されることのなかった「シモーヌ・ヴェーユ著作集」でも読むか(笑)。
posted by nadja. at 21:48| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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