2008年10月31日

ひとこと言わせて(いや、ひとことじゃ無理)

私が高校3年生だったちょうど今頃、だったと思う、推薦入試が終って、それなりに進路を確保したクラスメイトたちが教室に大量のマンガを持ち込み始めたのは。あのね、あんたたちは終わったかもしれないけどね、素行の悪かった私はね、とてもじゃないけど推薦なんかしてもらえなくて、これからなんだよね、これから追い込みなんだよ、なのに何よ、そのマンガ、

ということで手に取ったのが『王家の紋章』であったのだった。やめとき、という制止の声を振り切って読み始めたが最後、当時で30巻くらいまで出てたのかなぁ、あとはもう、何をかいわんや、である。

そして今、会社では『天は赤い河のほとり』(文庫で全16巻)が回し読みされていて、私もめでたく仲間外れにされずにその恩恵を賜った。以前から『王家』に似てる、着想が全く同じ、エピソードもかぶってる、パクリだ、パロディだ、という噂を小耳にはさんではいたのだが、読了してみて、

これは(『王家』+『BASARA』)÷2だよ!

という結論に達したのであった。以下は激しいネタバレになるので読みたい人だけ読んでください。
続きを読む
posted by nadja. at 01:07| etc | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

凍る世界

結晶世界 (創元SF文庫)
J・G・バラード
4488629024

ついでにもう一冊バラード。バラードを代表するオールタイムベスト作品、ということなのだけど、これがいまいち、ということは私はどうもバラードに向いていないんだろうなぁ。頻出する「どえらい」という訳語もどうも気に食わない。原文ではどんな表現なんだろう。

次第に結晶化していく世界、という終末は、前に読んだ『沈んだ世界』の蒸し暑さよりも硬質で良いが(アンナ・カヴァンの『氷』を連想する)、あまり深さを感じないのは、サンダーズ博士およびベントレスら、ソーレンセンら登場人物がドタバタしすぎて関係性が曖昧になり、動機の部分がはっきりしないからではないか。永遠の時間の相のもとに、生きることも死ぬこともなく結晶となり凍結されるというのなら、ハンセン病という病を分かち合ったサンダーズとスザンヌが、もっと掘り下げられていてほしかった。
posted by nadja. at 01:45| SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

リゾートへ

ヴァーミリオン・サンズ (ハヤカワ文庫SF)
J・G・バラード 浅倉 久志
4150106916

「ヴァーミリオン・サンズは未来が実際にどんなものになるだろうかという、わたしなりの推測である」、と冒頭。「明るすぎる砂漠のリゾート」、ヴァーミリオン・サンズ。アリゾナとイパネマ・ビーチの中間を想起されたし、とのこと。セレブリティが集うこの架空のリゾートでの、雲の彫刻だったり、歌う花だったり、歌う彫刻だったり、成長し続ける彫刻だったり、着る人の感情にあわせて形状を変えるドレスだったり、住む人の感情を記憶してこれまた形状を変える屋敷だったりの、たしかに未来的で、どことなくけだるい物語が9つ。未来はどうやら、われわれの内的な感情が外的環境に直接作用を及ぼす世界であるようだ。『ドリアン・グレイの肖像』をどうにかしたような、「希望の海、復讐の帆」がお気に入り。VTというヴァース・トランスクライバーがあらゆる詩を作り出してしまい、誰も詩を「ほんとうに」書かなくなるという設定の「スターズのスタジオ5号」も◎。しかし読む季節も場所も間違えた。夏場に、それこそリゾート地で、真昼間からシャンパンでも飲みながら、読んだらさぞ、気持ち良さそうな。
posted by nadja. at 23:01| SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月18日

罪の天使たち

ブレッソン『罪の天使たち』を神戸アートビレッジで。「フランス映画の秘宝」、と銘打たれているだけあって垂涎のラインナップ。ほかのも観たかったな。

『罪の天使たち』はブレッソンの処女作であるそうで、省略やほのめかしはなし、「罪を知らない魂に罪深い魂を救うことができるか」というテーマに正面からまともにぶつかっている。熱血修道女であるアンヌ=マリーの体当たりの、自己陶酔的な救済の「押し付け」に、元受刑者でありさらに罪を重ねているテレーズの冷ややかな魂はどう応えるのか。

「100年の最初の一日だもの」、というアンヌ=マリーの潤んだ瞳が胸を打つ。
posted by nadja. at 21:59| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月17日

より大きな希望

より大きな希望 (1981年) (妖精文庫〈29〉)
イルゼ・アイヒンガー
B000J7S7RW

「ゲオルク、橋はもう無いわ」
「ぼくたちで、新しい橋をかけよう」
「その橋は何て名前にする?」
「より大きな希望、さ。ぼくたちの希望なんだ」
「ゲオルク、ゲオルク、星が見えるわ」

なんとも象徴的な言葉で綴られた希望或いは絶望の物語。ナチス支配下の、というバイアスをはずすことはできないが、確定的な表現を極力避けた描写は詩篇のようですらある。神は我々を嘲笑っている、だから青一色の世界へ飛ぶには己の足しか頼むことはできない、けれどその青一色の世界の別名を皆が知っているから、より大きな希望はとても悲しい。イメージの残像を追いかけていくような一種特異な読書体験。
posted by nadja. at 23:47| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

夜のみだらな鳥

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))
ホセ・ドノソ
4081260117

囲い込まれた閉塞感のなかで一切の統一性を拒否しながら疾走する淫靡な想像力。フリークスの迷宮のなかに閉じ込められた<ボーイ>、九つの穴を縫い塞がれたインブンチェ、それらは飛ぶ、時空を越えて、存在の境界を越えて、たやすく別の者となることを繰り返しながら。

わざわざ大学図書館まで借りにいった甲斐があった。
posted by nadja. at 22:15| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

美しくない数式

フクヤマを観に『容疑者Xの献身』を観に行ってきた。ほぼ原作通り。もちろん内海刑事は抜きにして。松雪泰子の美しいこと、堤真一の芸達者なこと、フクヤマの大根っぷりが目立つ目立つ、でもやっぱり上映中何度も「そのカットで止めて!」と思ったことです、ええ。

天才物理学者と天才数学者の対決だけあってトリックもとても面白いし、話じたいよく出来ていて、「名作」の部類に入るのは確かだと思う。映画化にあたってもおふざけ抜きで、ドラマのときみたくフクヤマがいきなりびゃーっと数式を書き始めたりはしない(あの演出はなかったよね)。映画館まで観にいっても、損はしない作品、のはず、たぶん。

ただ、原作を読んだときも思ったけど映画を観てもやはり感想は同じ。ラストがどうしても気に食わない。あれこそ最大の裏切りなんではないだろうか。あそこは、泣いて、泣いて、泣き崩れて、深く頭を下げる、で終わってほしい。いくら人倫にもとることであっても。アッペルとハーケンの四色問題の証明を「美しくない」とはねつけた数学者が作り上げた完璧な数式が、結局最後は人間の弱さによって崩壊していくさまを見るのはしのびない。彼は、貴女の、幸せを願ったのですから。貴女は、その大いなる犠牲を受け入れるべきではなかったですか。口を噤み、罪の深さに怯えながら、それでも強く、したたかに、彼が贈ろうとした幸福を、耐えるべきではなかったですか。

…そこが文学作品とミステリ作品の差なのかもしれない。「安全な」ミステリ作品においては罪には罰が必ず用意されている。安全さと美しさは並存しえない。石神さん、貴方の美しい数式には、瑕疵がありましたね。人は、完璧な論理に従えるほど、強くはないのです。

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
東野 圭吾
4167110121
posted by nadja. at 19:07| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

NEUTRAL MILK HOTELが大好きです。

In the Aeroplane Over the Sea
Neutral Milk Hotel
B0000019PA

たぶんこれも『夜のみだらな鳥』からの連想で聞きたくなった、のかな。実は最近全然音楽が聴けなくて困っていた。鬼の猛勉強をしていた8月、なんせちょっとでも気を緩めるとすぐに主語と述語がばらばらになって意味が宇宙のかなたに飛び去ってしまうような極悪な日本語(あれ本当に日本語?)と格闘していたので、BGMも許してもらえなかったのだ。そうしたら今度は無音の状態に慣れてしまって、うちのケンウッド、いや、半分はデノン、はすっかり埃まみれになった(アンプも買わなきゃなー。ついでだから書くけど5年半で5回目の修理なんかできるかバカヤローの掛け声とともに粗大ゴミに出されたケンウッドの後釜にやってきたデノンのDCD-755AEはお値段の割にはとっても丈夫で安定していて、もうすぐ2年になるけど一度も修理の憂き目にはあってません。逞しい子です)。

今日は朝から天気がいいし、ハイビスカスは今年たぶん最後の花が2つ咲いてるし、クリスマスローズを株分けして、サルビアをちょきちょき切ってドライフラワーにし、成仏なさったベゴニアを丁重に葬って、育ちすぎて植木鉢の中で大暴れしていたヘデラを植えかえ、手が土まみれになったのでついでに部屋中の大掃除をしてほっと一息、と思ったときに選んだのがこのCDだったわけです、ああ、前置き長かった。

暑くもなく寒くもなく、柔らかい日差しが部屋の中まで入ってきて、とても気持ちの良い休日の朝に、底抜けに不幸で底抜けに悲しく底抜けに明るい音楽を聞く幸せ。このCD、アートワークも素晴らしい。「two-headed boy pt.two」のとってもとっても優しいギターが心に沁みる。私はNEUTRAL MILK HOTELが大好きです。
posted by nadja. at 11:07| music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

グーグーだって猫である…

全メガデスファン必見!!

そう、きょんきょん(いまだにこの呼称はいいのか、小泉今日子、と書くべきか)と加瀬亮の、アメショーの仔猫がつぶらな瞳でこっちをじっと見つめているあの可愛らしいフライヤーの、大島弓子原作の、いかにものんびりのほほんな猫映画、と思われる、『グーグーだって猫である』(公式コチラ)、ああ、もう、くそっ、何度でも書いてやる、全メガデスファン必見なんだってば!

映画館で叫んでしまった。

マーティ!



ああ………。

映画のほうも、きょんきょんにもグーグーにも罪はないけど、それはそれは中途半端なつくりで、大変残念でありました。

せめて、グーグーをペットショップで買うのでなくて、殺処分の子を引き取るとか、里親さんになるとか、野良さんを連れて帰るとか、そういう設定だったら、気持ちだけでも救われたのにな、と思ったことです。
posted by nadja. at 20:34| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月02日

解体のこころみ

哲学者の密室 (創元推理文庫)
笠井 潔
4488415040

ついに読了、1160ページ、厚さ4.5センチのお化け文庫本。とはいえそんな「大部」のものを読んだという感じはあんまりしない。あの地獄的に読みにくい(というかいまだに読了できていない)『テロルの現象学―観念批判論序説』に比べたら文章もつらつらとスムーズに流れて読みやすく、なんといっても本書で俎上に上げられているのはマルティン・ハルバッハ、失笑がこみあげてくるぐらい、おもいっきりマルティン・ハイデガーでしかない老哲学者の「死の哲学」、おまけにエマニュエル・ガドナス、これまたエマニュエル・レヴィナスの、「イリヤ」の思想までもが副菜として添えられているのだから、なまじ哲学をかじったことのある身としては面白くないわけがないのだ。

今回もまた的外れな推理を自信たっぷりに披瀝するナディア・モガールはこの際横っちょに置いておく。えー、それはちょっと、という密室トリックも、どこからそんな推理を導き出すのかさっぱり不明な矢吹駆の本質直観もさほど興味はない。「ナチズムとハイデガー」。もうこれだけでおなかいっぱい。人間の至高性を保証する死、英雄的な死、という観念を1160ページでじっくり解体する試み。補助線として用いられるレヴィナスの「イリヤ」はかなり単純化されすぎている気がするが、あくまで「推理小説」である以上、形而下に引き下げたうえで展開されるがゆえに非常に分かりやすい言葉が用いられており(ナディア・モガールの「あほっぽさ」は日常感覚を際立たせるのに一役買っている)、とても分かりやすいハイデガー批判の参考書たりえている。もちろんハルバッハ、とされている以上、同一視してはならないし、史実とは異なる設定(ネタバレになるから書かないけどえーそれはいいのか、ほんとにいいのか、と何度も思ったことですよ)もあるため、はなはだしい誤解を生む可能性もある。それでも、この死の観念を巡るハイデガーからレヴィナスへ、という仕掛けはとてもスリリングで、おそらく私自身のなかにもあったに違いないハイデガー哲学の身勝手な引用、今となっては恥ずかしさの感覚と一緒に思い起こされるテーゼ、もまた、ゆるやかに解体されていく心地よさを味わった。補助文献としてアガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人』なんぞを読んでみるのもよろしいかも。

第5作は『オイディプス症候群』なんだとか。次はあれか、あれなのか!?
posted by nadja. at 20:12| ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。