2008年07月30日

赤い風船/白い馬

梅田ガーデンシネマにて。公式サイトコチラ。「出会えてよかった」とか「奇跡の映画」とか、ごたいそうな宣伝文句はこの映画に限って大げさなものではない。絶対観に行ってくださいと太字にしたいくらい。どちらも40分足らずの短いフィルムだけれど、夾雑物一切なし、最もシンプルな形の、力強く美しい、夢のような時間。私、あんまりヒトにものを勧めたりしませんが、こればっかりは機会があったら本当に観て下さいまし。あ、ちなみに、立ち見でした(…)。

以下自分のために書くネタバレ追記。観てない人は読んじゃダメ。純粋に物語を味わっていただきたいので(私は『白い馬』のラストを先に知ってしまってもったいないことをした。公式サイトのコメント欄もストーリーも、決して読まないように)。
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posted by nadja. at 20:33| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

ビルマ、パゴダの影で

ビルマ、パゴダの影で』をナナゲイで。とっても近しい知り合いがビルマ関連のNGO活動をしているのに、私は何にも知らなくて、いつも恥ずかしい思いをしているのだった。たかがドキュメンタリー1本観たくらいで何がわかるわけでもないけど、カレン族やシャン族の難民キャンプの様子は決してテレビには映らないから、こうしてわざわざ「見られるところ」へ足を運ぶしかない。報道報道と喧しい世の中のくせに、それもおかしな話である。親をビルマ軍に殺されたシャン族の子どもが、「将来何をしたい」と問われて「兵士になってビルマ兵を殺したい」と答えていた。悲しい再生産の仕組み。けれど「それは間違っている」と言う権利も資格も誰にもない。違った未来を教えてあげることが、いったい誰にできるんだろう。サイクロンのあと、あのあたりはいったいどうなってしまってるんだろうか。

「へえ、こんなかわいそうな人たちもいるんだね」という感想を洩らしながら自分は空調のきいた映画館のソファに座っているという状況が耐えがたいから、正直この手のドキュメンタリーが苦手だ。知ったところで、何もできない、どうしようもない、せいぜいが今自分が享受している生活のありがたみを再認識して終わる程度、という逃げ腰が実は自分を守るための巧妙なウソであることに本当は気づいているから、苦手だと思うんだろう。まずは知ること、知らせること、か…?
posted by nadja. at 13:00| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月17日

yes,anastasia.

貴婦人Aの蘇生 (朝日文庫)
小川 洋子
4022643552

貴婦人…貴婦人。その聞きなれない響きはなんとも小川洋子の作品世界にぴったりマッチしていて、ずっと読みたいと思っていた(洋館、というのもきわめて小川洋子的)。でも「A」がアナスタシアのAだとはまったく予想していなかった。

とてもみずみずしいひと夏の描写。終わりは少々唐突な感じもしたが、そんなに長続きしないであろうことがこの物語の成立条件だからそれでいいのだろう。『薬指の標本』の印象が強いからか、この人の作品は舞台をヨーロッパに置き換えたとしてもすんなりとなじむ。たとえばこの話がフランスやベルギー、ブルガリアやルーマニアの一地方都市での出来事とされても、きっとあんまり違和感はない。
posted by nadja. at 15:11| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

リリー・マルレーン

気分転換にファスビンダーを。ほかにもいくつか観たかったけど時間的余裕皆無、無理。18日までシネ・ヌーヴォ。『マリア・ブラウンの結婚』とどっちしようか迷ったけど結局歌モノを。『リリー・マルレーン』といえばディートリッヒ、なのだけど、本作はそっちではなくてラーレ・アンデルセンという人の(って言っちゃあ失礼か、本家本元だもんね)逸話がベースに。帰ってからネットで調べて聴いてみたけど歌に関しては、正直やっぱりディートリッヒの迫力にはかなわないかな。興味のある人はぐぐってください(勝手にリンクはれないところっぽかったし)。

かなり生々しい砲撃のシーンにうっとりと流れ出す『リリー・マルレーン』のやわらかく物悲しい旋律………とは対照的な、「こんなまどろっこしいところはどうでもいい」とでも言わんばかりの、ファスビンダーの奔放かつ乱暴な省略、いやらしいねちっこい映し方(特に逮捕された夫が独房で、針のとんだレコードみたいに同じ箇所を何度も何度も繰り返す『リリー・マルレーン』を大音量で延々と聞かされるシーンなんてもう悪意の塊!)が見事にうっとり気分をぶち壊しにしてくれる(笑)。ファスビンダーってとんでもなくせっかちだったんじゃないかなぁ、あのテンポの速さはもはや暴力的と言いたい。

『リリー・マルレーン』とか、『花はどこへいった(where have all the flowers gone?)』(ちょうどいまナナゲイでやってる)とか、こういう重い物語を背負った歌が好きなのだけど、おまえの甘っちょろい感傷なんか知ったことか、とあざ笑われているような気さえしてくる。ナチスにプレゼントされた部屋でシャンパンを飲みながらざまあみろ俺たちは成功したんだ、とごろんごろん転がるシーンは歌が背負う美談を木っ端微塵にする。「ただの歌なのよ」「ただ歌ってるだけなのよ」と、たしかそんな科白もあった。ただの歌が、単なる偶然や気まぐれによって、ただの歌でなくなっていくことの、不気味さ或いは滑稽さ。
posted by nadja. at 19:53| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

生の暗部へ

誘惑者 (講談社文芸文庫)
高橋 たか子
4061963449

こんな本が絶版になっていたりするような世の中だから「周りがすべて悪いと思っている」なんてな尊大な物言いがまかり通る(まかり通らない?・笑)んだ、現在少数厳選読書期間中につき読後感をぐだぐだ書くことは控えるが、こういう話を「暗い」だとか「うざい」だとか言って忌避する風潮がとことん嫌いだ。暗くてうざいことのなかでしか見えないことがたくさんある。そんなのを全部切り捨ててしまって幸福だの充足だのいってみたところで全部ぺらっぺらのうそっぱちだ。生の暗さに向き合うことは、つまらないことでも面倒なことでもない。
posted by nadja. at 03:58| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

たとえ明日世界が凍っても


アンナ・カヴァン 山田和子
4862381006

楽しみにしていた本を読み終えてしまったときの言いようのない喪失感。もう知らない自分に戻ることはできない、というさみしさ。同じクオリティのものに出会うのはいつになるだろう。

思っていたほどずんどこに真っ暗というわけではなく、意外にも肯定的な力に満ちていた。氷とはあらゆる硬化していくものの象徴であり、人は常に氷の脅威にさらされている。無関心、疎外、絶望、あきらめ、そして肉体の死、すべて氷である。それら白銀のどこまでも冷たいヴィジョンと、アルビノの髪を持つ少女を救わんとする男の静かで熱い情熱の絡み合い。筋だけを追えばロマンスであるのに、甘ったるさは一切排除され、途切れ途切れの、強烈なイメージが速いテンポで話を運んでいく。破滅は決して逃れられない形ですぐそこにある、それでも。このそれでも、が素晴らしい。
posted by nadja. at 00:25| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

収拾がついてない

兎とよばれた女 (ちくま文庫 や 3-2)
矢川 澄子
448042444X

小説、とするには破綻しすぎている。なんだかもう、悲しくて、切なくて、憎らしくて、恨めしくて、それでいて愛おしくてたまらなくて、収拾つかなくなってる感じ。明確に書かないことが想像力をあおりたて、逆により鮮明に、書かなかったはずのことを浮かび上がらせてしまうという構図(巻末の千野帽子さんのおせっかいな解説もあいまって)。「好きで、好きで、好きで、好きで、大好きで、大々好きで、気も狂うほど好き」、だなんてまあ…。澁澤は晩年、たしか兎を飼ったのではなかったかしらん。

に対して神さまとの暮らしを綴った部分は筆が冴えている。けれども教訓として恋愛に神秘主義を持ち出すべきではない。ましてや神格化など。とはいえ一度そのレベルの苛烈さを知ってしまうとどうしても、なんてな個人的な話はさておき、「かぐや姫に関するノート」、その後さしはさまれる天上人による自己弁護、ここまでやるか、のはぐらかし。不思議とあてこすりめいていないのはさすがだが、千野さんも書いてらっしゃる通り、「現実のモデル問題を知ることによって、読み方がここまで影響されてしまうのは虚構作品にとって幸福なことかどうか」。虚構として読むことが非常に難しい作品。だからこそこの大仕掛けを必要とした、ということだろうか。わざとらしく、しらじらしく、痛々しい大仕掛け。きっと書き始めたはいいけれど本当にどうしようもなくなってしまったのだろう。出だしのテンションは素晴らしいだけに、ああ矢川さん、逃げないでほしかった。
posted by nadja. at 01:46| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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