2008年06月27日

不語の果てに

失われた庭
矢川 澄子
4791752910

小説、かな。1994年刊。澁澤の著作がずらっと本棚に並んでいる身としては読むのが非常に痛い一冊であった。書くべきなのか、書かざるべきなのか、と躊躇しているさまが伝わってくる。それでも書かずにはいられなかった、のだろう。「けれども逆にそれがあまりにも巧妙に秘め隠されて、双眼の色にすらもはや窺われなくなったとすれば、その方がむしろ危険な徴候ではなかろうか。彼(もしくは彼女)の演技はほとんど完璧であり、こうなるともう周りから、ものや思うとだれかが問いかけてくれるようなことさえなくなってしまうだろう。韜晦が真に迫れば迫るだけ、彼自身は不自然のきわみにとりのこされて、おそるべき孤独地獄におちいってゆくのである」。自己韜晦に陥って感情の自然な発露を見失い、人知れず悶え苦しむ様は個人的には非常に愛おしいのであるが。

「表現」である以上、その不語の状態は、なんらかの形で知らされなければならない。だが知らされた段階でそれは不語ではなくなってしまう。なんという矛盾だろう。「あの不語の幾年月、自分の拠りどころとなってくれていたものは、なによりもまずそのような矜持にほかならなかった」。矜持=自分の精神力に対する人知れぬ自負、と矢川さんは書く。誰にも知らせない、必ず自分ひとりで耐えてみせる、といったような。このあたりに、ヴェイユの影響を色濃く読み取るのは私だけではないだろう。とはいえ不語は不自然な状態である。いつまでも不自然であるからこそ、とは言っていられない。

もう少し前に、日々つきつけられる不条理に耐えるすべを見つけられずにいたころに、読みたかった。残念ながらあのころ、私には一冊の本を読む余裕はおろか、一枚のCDを聞く余裕もなかったのだけれど。
posted by nadja. at 17:07| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月26日

ジャニス・ジョプリン 恋人たちの座談会

昨日の話になるけれど、BSのハイビジョン特集で「ジャニス・ジョプリン 恋人たちの座談会」をやっていたので当然のことながら見た。歴代ジャニスの男が4人集まってやれジャニスはこうだったああだった、と回想する、というとんでもない趣旨の番組。要するにあんたたちのうちの誰もジャニスを救えなかったわけでしょう、役立たずが雁首そろえて今さらなにを言ってるの、よく恥ずかしげもなくのこのこと、、、以下略(笑)。

それでも『Cry Baby』誕生秘話は興味深かった。どうしてカトマンズなんだろう? と長いこと、あの歌詞は腑に落ちなかった。休暇中にイパネマで出会ったその男はアマゾンの密林でたったひとりのサバイバルを終えた直後(俳優の誰かにそっくりなんだけど名前が出てこないんだな…)、ジャニスと恋に落ち、マネージャーになって北米ツアーについてきてよ、とジャニスに誘われた、のに、「俺はもっと世界が知りたい、ギリシャのクレタ島に手紙をくれ、次の休暇に、カトマンズで落ち合おう」と言って旅立っていく。そしてありがちな話としてその手紙はお互いにすれ違い、彼はネパール(だったかな、アフガニスタンだったかな)でジャニスの訃報をきく。後日談として、立ちよった香港のレコード店で、『PEARL』を聴かせてもらったら、たまたま『Cry Baby』が聴こえてきた…(できすぎ)。

when you walk around world babe...、にはじまるあの部分、「あんたのやるべきことは一生に一度だけ、一人の女の頼れる男になること」、という叫び、ああ、そういうことだったのね、と、泣きたい気持ちになった。

もしも彼がジャニスの望むとおり、北米ツアーに同行していたとしたら、ジャニスは死ななかったかもしれない。だけど『Cry Baby』は誕生していない。

番組ラスト近くにナレーションが「ジャニス、あなたはどうして歌うことをやめてカトマンズに行かなかったの」とふざけたことを言っていた。ジャニスは不幸だった、けれど、その代償として、『PEARL』がある。そういうものだ。満ち足りた人間に、こんな歌は歌えまい。

Pearl
Janis Joplin
B00000K2VZ
posted by nadja. at 20:34| music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月23日

スプートニクつながり

スプートニクの恋人 (講談社文庫)
村上 春樹
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『ベルカ』以降、私の頭の中はスプートニク2号に乗せられたライカ犬のことでいっぱいだ。下のエントリでリンクをはった記事をはじめ、ネットでいろいろ調べて読んだ。こみ上げる思いはいろいろあるが、どれもまともな言葉にならない。

そんななかで当然引っかかってくるのは本作。スプートニク、と言ったらこれだろ(単純で悪かったね)。作品中にもちょこっとライカ犬のことが出てくるというし。こんなきっかけでもなけりゃ一生読まないし。

でさらっと一晩で読んだのだが明らかにあなた手抜きしたでしょう、というのが伝わってくる残念な作品である。村上春樹の力量からいってもっと書けるはずなのだ、もっと切ない言葉を並べたて、胸をえぐるような情景をこれでもか、ともりこんで、さらには登場人物の何人かが井戸に落ち、何人かが死ねば、ねじまき鳥やハードボイルド・ワンダーランドを超える作品になりえたかもしれない。なにせ主題は孤独とドッペルゲンガーなのだから。

「ぼくは目を閉じ、耳を澄ませ、地球の引力を唯ひとつの絆として天空を通過しつづけているスプートニクの末裔たちのことを思った。彼らは孤独な金属の塊として、さえぎるものもない宇宙の暗黒の中でふとめぐり会い、すれ違い、そして永遠に別れていくのだ。かわす言葉もなく、結ぶ約束もなく。」

という、村上春樹一流のリリシズムに満ちた一節はとても美しいが、物語世界とうまくかみあっていないところが悲しい。すみれもミュウもぼくも、そう、絶対に、孤独な金属の塊に乗せられたライカ犬の孤独にはかなわない。恋だの愛だのといったって、人の孤独なんか、たかが知れている。
posted by nadja. at 15:47| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

吠えろ、ベルカ。

ベルカ、吠えないのか? (文春文庫 ふ 25-2)
古川 日出男
4167717727

タイトルが最高じゃないか、ベルカ、吠えないのか。即買い、即読み。「エンタテイメントと純文学の幸福なハイブリッド」。これは犬の、軍用犬の年代記。第二次世界大戦にはじまり、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、アフガン戦争を経て、チェチェン紛争まで、20世紀の戦いに翻弄される戦う犬たちの物語。なんだ、このへんてこな文章は。問いかけるような、問いただすような、悪ふざけのような(怪犬仮面が出てきたときはさすがに吹いた)、それでいて熱っぽい、まるで爆発したがっているような、不可思議な文章は、と思っていたら作者の古川氏はZAZEN BOYZの向井秀徳と共闘しているそうである、なるほど、HEAVY METALLICなわけだ。純文学に慣れてきっているものだからこの壊れた文体ははじめ非常に読みづらかったのだが、一度リズムに乗ると意外にスピードが出る。行け、犬よ、もっと行け、殖えろ、吠えろ、そして戦え、壊せ、ってな感じ。この疾走する想像力の根底にはスプートニク2号に乗せられたライカ犬の存在があるのだろう(参考→こちら)。「老人」は大気圏突入時に燃え尽きた(と当作品中ではされている)ライカの頭がい骨を地球儀の中に神体の如く祀っている。人間どもの争いに忠実につき従った犬たちへの鎮魂歌であり、オマージュでもあるような快作。吠えろ吠えろベルカ。きっとそのうち私も吠える(すぐその気になる・笑)。
posted by nadja. at 01:16| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

接吻

@シネ・リーブル梅田。明日まで。公式サイトこちら

映画なんて感情移入をして観るものでは決してないが、この作品には過剰に感情移入を求めて行った。なぜなら私がそうだったから。TVに映し出された「彼」はまなざしだけで私を捕らえた。「彼」の名が報じられる新聞記事を切り抜きし、繰り返し報じられるワイドショーまがいの報道特集を録画して、スポーツ新聞や週刊誌を買い漁った。小池栄子演ずるヒロインが全く同じことをやっていて失笑する。さてかつての私に似たヒロインにはどのような物語が用意されているのか。

ヒロインが犯罪者に惹かれる理由ものめりこむ理由も私とはまったく違った、むしろ安直すぎて笑えた(こういうのを目くそが鼻くそを笑う、という)けれど、私の事情、を度外視すればなかなかユニークな映画である。豊川悦司の不気味な存在感が良い。そして小池栄子の大きな目は空虚感をうまく醸している。あんな陰気な役ができる人のようには見えなかったのだけど。

「映画史上誰も観たことのない衝撃のラスト」は実はたいしたことがない。十分予測範囲内の、とはいえ実際にはおそらく起こり得ない、現実味に乏しいラストだ。そして私には、あの接吻の意味が分からない。これだから映画(或いは物語)に感情移入などを求めるべきではない。なぜなら自分の観たいものしかそこに観ようとしないから。
posted by nadja. at 01:24| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

松浦理英子もかわった。

裏ヴァージョン (文春文庫 ま 20-1)
松浦 理英子
4167742012

松浦理英子、というその名前を目にするだけで口のなかに甘酸っぱさが広がる。高校生の頃、いったい何度その名を口にしただろう。その名にまつわるあれやこれやの記憶。『葬儀の日』はバイブルだった。『ナチュラル・ウーマン』は教科書だった。あれから何年。まるで反動のようにその名を避けて通るようになったのは、私が「花世」をなくしたからだ───

そんな感傷はさておきもうこの『裏ヴァージョン』からも8年である、ずいぶんひどいタイトルだなと思いながら手が伸びなかったのは2000年といえば神経衰弱に陥り始めていた頃であるから仕方がないとして、後半部分で展開される壮絶な罵り合いを読むにあたって、逆に今まで読まずにいて良かったと思った。『ナチュラル・ウーマン』の後日譚として読むのはまったく正しい読み方ではないとは思うが、あの彼女たちもきっとこんなふうであろう。

「早死にするかと思ってたら四十まで生きちゃって。何てカッコ悪いの。早々に死んでりゃ良かったのよ。言ってやりたかった、じっと部屋に籠もって世界を呪ってて何になるの? 無気力なあなたはそういう生活が性に合ってるんでしょ? 経済大国のオタクは貧乏なくせに貴族みたいな生き方をするのよね、滑稽きわまりないわよ」、のくだりなんて、「花世」がいかにも言いそうな科白だ。

こんなふうに意地悪にしたたかにひねくれていくことができるならそれも悪くない。歳をとるのが楽しみになってきた。『犬身』に俄然期待が高まるというもの。
posted by nadja. at 22:02| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

Kate Bush無敵

シネ・ヌーヴォでリヴェットの『嵐が丘』を。年末観た『レディ・チャタレイ』もそうだったんだけれどどうしてフランス人っていうのはイギリスの文学作品であっても舞台を強引にフランスに移してしまうのか。ヒースの茂る風の強い丘、っていう設定じゃなかったんだろうか…。南仏の、ラングドック地方っていうのはごつごつした岩肌の露出したたしかに荒々しい風景だったけれど、嵐が丘っていうのはさぁ…。

とはいえ、まあ、2時間10分の上映時間がたっぷり4時間くらいには感じられるほどの内容の濃さで大満足。キャサリン役のファビエンヌ・バーブがとても良かった(全然知らない人だったんだけど。『夜の子供たち』に出ているそうな)。ジュリエット・ビノシュの『嵐が丘』も観てみたくなった。

んだけど、明日嵐が丘観に行くんだよなぁ、と思って昨日の夜何気なくyoutubeでKate Bushの『Wuthering Heights』を見てしまったせいで、もうラストシーンでは頭の中で鳴り響く「Heathcliff, it's me, your Cathy〜」が音響を完全に凌駕した。ありとあらゆる『嵐が丘』は絶対にこのkate Bushの魔力から逃れられない(こういうのがいわゆる後続が先行する作品に影響を与える、っていうブルームの反定立的批評の典型なわけね…)。

posted by nadja. at 18:24| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

たぶん異色の

生きるなんて (朝日文庫 ま 3-3) (朝日文庫 ま 3-3)
丸山 健二
4022643978

書き下ろしってウソでしょう、こんな書き下ろしって成立するの? とおかしな心配をしたくなるような、おそらくかなり若い世代に向けて書かれたありきたりの人生論、の形式でもって書かれたまったくありきたりでない人生論。

猛烈な否定の連発に嫌悪感を覚えない人はあまりいないだろうと思う。けれどこの不愉快な否定に対して「そんなことはない!」と反論を加えようとすれば、おのずと徹底的に考えなければならない羽目に陥る。まさにそれこそが、本書で繰り返し指摘される「自立」(或いは「自律」、であろう)への第一歩となりうる。

以下いくつか抜粋。

「友人がいないことを大げさに嘆く必要はありません。そんなに嘆きたければ、友人がいないことを嘆くようなおのれの不甲斐なさを嘆いてください」

「誰かに叱って欲しいと思う前に、自分で自分を叱り飛ばす習慣を身につけてください」

「傾注に値する真の言葉は、甘やかされていない肉体からしかほとばしることはないのです」

「五体はむろんのこと、爪の一枚一枚、歯の一本一本までがあなたを構成する肉体の部分であって、それはあなた以外には管理できない、命に直結している大切な物なのです。唯一無二であるおのれの肉体を疎かに扱う者に、人生について何を語る資格があるというのでしょう」

「人生論」なんか読んだことがないから、ほかに比較対象がないけど、たぶん異色の人生論なんだろうと思う。
posted by nadja. at 21:11| Comment(2) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

物悲しいアリス

反少女の灰皿
矢川 澄子
4103278021

おすすめしていただいた本書、やっと読みました、図書館で借りて(高すぎて買えない…)。

実はアリスを読んだことがない。あえて、そういう、「少女少女」したものは読みたくなかった。現役の少女時代に熱心に読んでいたのはなんでそうなったのか分からないけど高橋和巳やサルトルやそれこそ澁澤龍彦で、もう少女ではなくなってから、実はアリスはかわいらしいだけのお話じゃないんだよ、ということをいくら教えられても、今度はその諧謔の部分にしり込みをして、おいそれと手を出せなくなった。これは不幸なことである。

矢川澄子さんの経歴を思うとこれまたおいそれと読後感を書いたりはできない(そういう神話化が働いてのこのプレミア価格か!)。聡明すぎるアリスはどこか物悲しい。残酷に自分の人生を見据えている。節々に感じられる誇り高さ気高さには喪失感が付きまとっている。嗚呼、やっぱり憧れてしまった。
posted by nadja. at 00:21| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

カフカの増補版

浴槽で発見された日記 (1980年)
スタニスワフ・レム 深見 弾
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序が良い。「新第三紀前期の文明、つまりアッシリヤ、エジプトおよびギリシャの原文化のほうが現在はるかによく知られているのは皮肉な話である。これらの古文化は、骨や石、粘板岩、青銅にその不滅の記念碑を残してくれた。ところが、新第三期の中期と後期には、知識を記録し保存するほとんど唯一の手段として<パピル>と呼ばれる物質が用いられていたにすぎない」。そしてこの<パピル>が後代、宇宙から持ち帰られた触媒物質によって分解されてしまうのだ。紙の消失による歴史の消失。この設定だけでレムさま! と手を合わせたくなるが、なんともったいないことにこの序は単なるおまけ。「浴槽で発見された日記」部分を読み進むにつれてカフカの『城』と『審判』をあわせたような不可解と不条理がすごいテンポでせまってきてわけがわからなくなる。いつまでたっても明らかにならない「使命」、よそよそしい「官僚」、堅固な「建造物」、三重スパイ、四重スパイ…。まさにカフカの増補版! 参った!
posted by nadja. at 01:48| SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

世界がこぞって口裏を…

幻の下宿人 (河出文庫 ト 7-1)
ローラン・トポール 榊原 晃三
4309462952

「しーっ、隣に聞こえるから。」と声をひそめる。10時までなら爆音メタルもいいけれどそれ以降はできればドラムスの入っていない、アコースティックな音楽を、アンプのボリュームを小さくしぼって。深夜のシャワー? その後ドライヤーで髪を乾かすだって? 冗談じゃない! 等々、都会の賃貸マンション暮らしにはさまざまな制約が課されている。毎朝テレビに向かって大声で文句を言う隣の部屋のおっさんを堪えることもまた、ペットを飼うなとか楽器禁止だとかいった規約の一部に含まれているんだろう。けれど。なにかの些細なきっかけでその均衡が崩れたら、そのとたん、隣人たちとの絶え間ない戦闘がはじまる…。

というわけで、主人公トレルコフスキー氏は戦うのだけれど(それにしても彼はいったい何と戦っているのだろう…?)。被害妄想が嵩じていくにつれてだんだんおかしなことになってくる小説世界。この、一見なんの目的もないような悪意は果たして彼の妄想なのかそれとも現実なのか。トレルコフスキーが狂っていくさまは非常に面白おかしいのだけれど、もしもこれが現実だったら? と考え始めるとおちおち笑っていられない。
posted by nadja. at 19:13| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

El Perro del Mar

From the Valley to the Stars
El Perro del Mar
B00141LH56

最近よく聴いているスウェーデン産不思議ポップス。宗教画っぽいタッチのジャケットのまんま、プレイボタンを押した瞬間に部屋のなかに清らかな空気がぱぁっと漂う。澄んだ泉の水のような、透明感溢れるヴォーカル(透明すぎて困るくらい)、オルガンやリコーダの素朴な音、つつましく、繊細で、可憐。とても幸せな気分になれる一枚。
posted by nadja. at 00:59| music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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