2008年05月31日

発酵してた

ソクーロフ特集の締めくくりとして『日陽はしづかに発酵し』を京都みなみ会館で。実は昔、96年か97年くらいに東京でぽかんと時間があいたときに観たのだけれど、見事に気持ち良く寝てしまい(…)、今回はそのリベンジ。

…のはずだったのに仕事帰りに満員のJRに揺られていったものだから、かなり疲れててやっぱり途中飛んだ。眠いんだよソクーロフは。タルコフスキーに輪をかけて眠いんだよ。とくにこの作品は全篇くすんだ黄色が支配していて、まるでカーテン越しの西日にぼんやりあてられているような感じが2時間続く(キェシロフスキの『殺人に関する短いフィルム』を思い出した)。時折ノイズが響くのではっと目を見開くのだけれど、スクリーンにはトルクメニスタンの埃っぽい黄色い景色が続いている。気持ち良かったなぁ…。あるようでないようなストーリーよりも、粒子の荒い、ざらざらとした、熱に浮かされたようなあの黄色、ときに白っぽく(おかげで字幕がまったく見えなかったりした)、ときに緑がかった、「発酵」という字が連想させるそのまんまの色を映画館で体験したかったのでそれは十分堪能した。ロシア語は分からないけど英語のタイトルは「the days of eclipse」。「日陽(ひび)はしづかに発酵し」とは見事すぎる邦題だと思う。
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2008年05月30日

まっとうな。

夏の流れ―丸山健二初期作品集 (講談社文芸文庫)
丸山 健二
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解説で茂木健一郎がジョイスの『ダブリン市民』に準えている。丸山健二のデビュー作、芥川賞受賞作。『争いの樹の下で』はそういわれてみればたしかに樹齢千年の樹木が「おまえ」に向かって語りかけるという実験的な構造をもった小説なのであった。圧倒的な内容が、文体だの構造だのといった小手先の小細工を完全に凌駕していたから気にもかけなかったけれど。日常の光景の周辺を描いた7篇の短篇がおさめられた本作は、たしかに伝統的手法にのっとった「これが小説です」といった趣きをもっていて、安心(?)する。

もうすぐ公開される小林薫主演の映画『休暇』(吉村昭原作)も刑務官の話だが、表題作「夏の流れ」は同じような主題を扱っているにも関わらず、人の不幸の上に成り立つ幸福、といったような明確な焦点がなく、人の命を奪う職業の情景を、贅肉をそぎ落とした簡潔な文体で淡々と描いている。その冷静なトーンに驚く。なるほど『ダブリン市民』はこれほんとにあのジョイスが書いたの、と誰もが思うであろう「まっとう」な作品で、たしかに本作もこれほんとに『争いの樹の下で』を書いた人が書いたの、と思うようなまっとうすぎる作品である。このまっとうな作品を物す力量、確実な下地があってこそ、なのだな、というのがよく分かった。
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2008年05月29日

圧倒的体験

争いの樹の下で〈上〉 (新潮文庫)
丸山 健二
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争いの樹の下で〈下〉 (新潮文庫)
丸山 健二
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圧倒的な否定と、絶対的な肯定と。上巻の1頁目を開いたその瞬間から下巻の最後の1頁を読み終えるまで、一瞬たりとも気を緩めることのできない緊張感が続く。今の日本には独裁者を受け入れるほど右傾するような情熱はない。慈善事業のように援助をばらまくことはしても、国交を絶ってまで孤立するような勇気もない。それにこの流れゆく者の在り方はとうてい肯定できるようなものではない、それでも、この全篇を貫く異常なまでの力といったら。硬度の高い言葉でたたきつけられる否定の数々、限りなく深いところから滲み出る力強い肯定の数々。すべての言葉を心に刻みつけたい。それで足りなければ身体に刻みこみたい。稚拙な言葉でやみくもに不平不満を吐き出して澱んでいるだけの厭世主義者、そういうものさ、仕方がない、と哀しく笑ってみせるしか能のない敗北主義者、皆々揃って頭を垂れて読むと良い。雷に打たれるかのように打ちのめされる瞬間が何度もあった。はっきりいってプロットは破綻しているし、そこここに論理の矛盾があることもたしかだけれど、もはやそんな些細なことはどうでもいい。こんな読書体験は、そうあるものではない。
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2008年05月27日

プライヴェートなフィクションとして

河馬に噛まれる (講談社文庫)
大江 健三郎
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そろそろ巨匠はおなかいっぱいになりつつあるのだけれど、浅間山荘事件をモデルに書かれたもの、と聞きかじったので頑張ってみた。果たしてこれは小説か。文中読者の心理を代弁してくれていそうな一文がある。

「あなたは自分の小説に、私たちをふくめていろんな人たちの個人的な事情を書きました。もちろんヒカリさんと御家族が誰より被害をこうむっていられるのですが、あなたの書き方はフィクション化を自由に行いながら、個人的な生活を素材にstoryを作っていくやり方ですね」

そのとおり、そのとおり(と実際大江氏も書く)。フィクションのなかにプライヴェートを溶かし込む形で(或いはその逆の手法で)、まるでノンフィクションのような「小説」として話は進んでいくのだが、実在の人物や実際の事件が透けてみえてきて、どうも小首を傾げたくなる。文化人類学者のYは明らかに山口昌男だろうし、バリ島研究のNは中村雄二郎だろう。これは巨匠一流のアンガージュマンなのだろうか、こうして現実からほんの少しずれた世界を描くことで現実にコミットしていこうとしているのだろうか、だとしたらそのもくろみはたぶん失敗に終わっている。「個人的な体験」の域を脱していない。極めて温和な、水準の高いインテリの、気弱なやり方で、いったい誰を「励まして」いるつもりか。あとは『さようなら、私の本よ!』で仕上げをしたらしばらく読まない、ような気がする。
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2008年05月26日

お茶の間のティルダさま…

そう、今週の日曜洋画劇場もティルダ・スウィントンさまご出演とこないだ教えていただいた『コンスタンティン』。日曜洋画劇場といえばスティーブン・セガールの沈黙シリーズとか何十回目かのインディ・ジョーンズとかダイ・ハードのイメージしかないんだけど(ごめん)、でかした!

で、肝心の映画のほうは天国と地獄の陣取りゲームという派手で突飛な話でCGてんこもり、こういうの見慣れてないから「す、すげー技術…」とそっちのほうばっかり目がいってしまった。技術を手に入れたらとりあえずなんでも試してみたくなる、というのの好例か。どろっとしたのとかぐちゃっとしたのは得意ではないので途中厳しい部分もあったけど、天使の羽を背負ったティルダさま、今作では髪も短め、化粧も控え目のマニッシュな感じで、麗しゅうございました。デレク・ジャーマンのミューズと呼ばれた人が2週続けてお茶の間に登場する奇跡。アカデミー賞の助演女優賞もとったことだしね(ちょっと複雑)。
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2008年05月25日

ランジェ公爵夫人

ずっと楽しみにしていたジャック・リヴェットの『ランジェ公爵夫人』をシネ・ヌーヴォで。ジャンヌ・バリバールの知性あふれる美貌に陶然とする。リボンで結いあげた髪とドレスの可愛らしいこと。何度屋敷を訪問してもつれない態度の公爵夫人に業を煮やしてモンリヴォー侯爵が敢行した誘拐劇のシーンで、化粧がはげ落ちるほどに涙を流しながら堰を切ったように愛を乞うときの、あの甘い陶酔の表情と言ったら。あの数分のためだけでも映画館に足を運ぶ価値がある。つれなくされればされるだけ募るのが恋心、愛する人の戸口で祈るようにその人を待つときの、胸の疼きを久しぶりに思い出した。ああ、恋がしたい(笑)。でもだからってこんな駆け引きをされたんじゃ、たまらないけど。来月リヴェット特集
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2008年05月22日

完璧

もののたはむれ (文春文庫)
松浦 寿輝
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学術雑誌や文芸誌ではよくその文章を読むのだけれど、「小説家松浦寿輝」を読むのははじめて。完璧すぎて怖いくらい。まるで無駄のない、よどみない、流麗な日本語。そしてすきのない、ぶれのない、見事な構成。長すぎず、短すぎずの14の短篇のすべてがそれぞれに完全無比の小宇宙を形成している。そこはかとなく頽廃、そこはかとなく不思議、そこはかとなく憂愁。おそれいりました。あえていえば、完璧すぎて体温を感じないことくらいか(それってひょっとして致命的…?)。
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2008年05月21日

表現の冒険

戦後短篇小説再発見〈10〉表現の冒険 (講談社文芸文庫)
講談社文芸文庫
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「荒野に杭を立て続ける」という気合の入ったタイトルの清水良典氏の気合の入った解説が良い。表現の冒険、とは言ってもけっこうオーソドックスな、きちんとした筋立てのある短篇ばかり所収。たとえば筒井康隆の『遠い座敷』などもへんてこな話だが物語としてはきちんと成立している。『日本以外全部沈没』に入ってた、何が書いてあるのか最初から最後までまったく意味不明な「フル・ネルソン」みたいに強烈に表現の冒険をしているわけではない。だからどの短篇も「おはなし」として面白い。小島信夫の『馬』(増築した家の1階で馬を飼うことになる…)と藤枝静男の『一家団欒』(墓場のなかでの一家団欒…)、吉田知子の『お供え』(捨てても捨てても供えられる花…)が面白かった。澁澤龍彦の『ダイダロス』は別格として。んでもって高橋源一郎の『連続テレビ小説ドラえもん』は最低(笑)。
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2008年05月20日

ふっかーん!

読みたくても読めなかったアンナ・カヴァンの『氷』、復刊決定。図書館にもなかったので困っていた。あな、うれし。

アンナ・カヴァン 山田和子
4862381006


6月4日発売。楽しみ。
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おしまいのレーニンとパパヒトラー

『牡牛座 レーニンの肖像』と『モレク神+ヒトラーのためのソナタ』を京都みなみ会館で。ソクーロフの青!あの色褪せた青!眠りを誘う青(笑)! 滲んで古くなった万年筆のインクの色、憂鬱に色があるとしたらあんな色。とくに『牡牛座』のほうは全篇にわたって青白く、白い花畑を這っていくレーニンの映像など美の極致。溜息が出た。

おしまいのレーニンは党本部から締め出されたあわれなボケ老人として描かれる。パパヒトラーは安楽なんてない!一家団欒なんてない!とヒステリックに叫び散らす。どっちかいうと『牡牛座』の静謐さのほうが好み。うー、うー、と低く唸るレーニンが痛々しい。
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2008年05月19日

ティルダさまああティルダさまティルダさま

遅ればせながらTVで『ナルニア国物語』を観た。いやん。すっごい面白い。子どもが観たらドキドキワクワクするんだろうね、と言いながら実は自分が猛烈にドキドキワクワクしているという。あんなライオンさんとお話できたらいいなー、とか寝言はさておき個人的な見どころはやっぱり白い魔女ことティルダ・スウィントンさま。もう釘付けである。『エドワードU』で衝撃を受け『ヴィトゲンシュタイン』でもう夢中、『オルランド』ではもう熱狂、その後たしか『バニラ・スカイ』と『ザ・ビーチ』でもちらりとお姿を拝見したけれど。今回は剣を取られて戦っておられた。あのすっと伸びた背筋と白鳥のようなお首。冷徹な横顔。『エドワードU』のこの世離れした美しさにはさすがに及ばないけれども堪能させていただきました。

んでちょっと検索してたらyahoo動画で『エドワードU』が無料公開されてた。なんていい時代なんだ(涙)。DVDを買いそびれていたので本当にうれしい。次の休みにゆっくり観る。
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2008年05月17日

ほのぼの。

みいら採り猟奇譚 (新潮文庫)
河野 多恵子
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前々から読んでみたかった、ほのぼのサドマゾ小説。ほのぼのなんて叱られるかもしれないけど。河野多恵子はうちの祖母とほぼ同い年。この小説の主人公である比奈子さんも昭和16年に高等女学校を出たばかり、とあるのでだいたい著者と同年代。わお。

内科医の正隆さんと結婚した比奈子さんは正隆さんの意向に沿う形でサディストに育てられていくのだけれど、その過程が第二次世界大戦中だというのになんともいえずほのぼのとしていて、読んでいて心があったまってしまうのだ。スパンキングの光景などもほほえましいかぎりである。「やっぱり、この人は小さいや」と繰り返す正隆さんが比奈子さんをすっぽりと抱きすくめるところなど大変素晴らしい。家のそとでは戦争という極めて男性的な暴力が荒れ狂っているのに、燈火統制のしかれた薄暗い家のなかでは小さい比奈子さんが大きな正隆さんを鋏で打ちすえるのだからたまらない。ラストもまるで夢のようである。願わくは空駆けるペガサスの夢をかなえたまえ。
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2008年05月16日

会いたくない。

会いたかった人
中野 翠
4198605130

気分を変えて。変人伝説の類。チェルヌイシェフスキイなんかまでピックアップされていて驚く。私は絶対会いたくない。ジョージ・オーウェルなんてとんでもない。ココ・シャネルもスキャパレッリにも田中清玄にも内田魯庵にも樋口一葉にも会いたくない、こうしてこっそり読ませていただいてふーん、へー、ほー、と言ってるのが良い。福田恆存にはちょっとだけ、緊張してがっちがちになってしまうだろうけど、えっと、あの、その、とか言いながら会ってみたいかな、はじめて顔写真を拝見したけど優しそうだし。

好悪のアンテナがぴんと張られていて小気味良い。いい気分転換になりました。
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2008年05月14日

立見って…。

5月10日の封切以来連日立見が続いている『靖国』@ナナゲイ。そりゃうちのおかんみたいな人までが「観たい」と言いだすくらいの騒ぎになっていればたった96席の映画館なんてそうなるに決まってる。朝9時半からの上映に行ったがもちろん立見。ばかばかしくって帰りたかったけど、おかんを十三までもう一度連れ出す苦労を考えたら立見のほうが(涙)。

ポイントは「うちのおかんみたいな人までが観たいと言い出す」ところにある。映画じたいは靖国という題材から考えると思ったほどバイアスのかかっていない、素直な(?)ドキュメンタリーで、大阪に住む者としては8月15日の靖国神社ではこんなことが起こっているのか…と度肝を抜かれるのだが、そう、こんなに大騒ぎするようなシロモノでは、ないはずなのだ。なのに、「うちのおかんみたいな人までが観たいと言い出す」。おかしい。

ただ、8月15日の靖国の一日を映しただけの、なんの変哲もない映像なのに。日本の右翼は滑稽で、合祀はおかしくて、小泉と石原は戦争肯定者で、刀匠のつくった軍刀は南京の虐殺につながって、という主張が構成から伝わってくるのはたしかだけれど、「これこそが真実だ!」という居丈高な調子でもなければ、靖国反対を声高に叫んでいるでもない。

要はこのような冷静な作品に対して過剰に反応することがおかしいのであって、こんなままでは合祀に反対する台湾の女性の強靭な、鋼のような声にどうしたって対抗できない。私たちは「靖国」に慣れていなさすぎる。「靖国」が孕む問題に耐えられない。

*****

面倒だから、と、社会的なこと、政治的なことから逃げ回って、国家のために死んでいった人を国家が悼まなくてどうする、という理由だけで小泉に喝采を送っている、私みたいな未熟者は、観ておくべきだったと思う。たぶんそのうちソクーロフの『太陽』みたいにいろんなところでやりだすんじゃないかな、ナナゲイでも6月までやってます。
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2008年05月13日

前期ヴェイユ(1934)

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)
シモーヌ・ヴェイユ 冨原 眞弓
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ああ、ついに岩波に入ったんだ、とありがたく買って読まずにそのまま放置してた一冊。東京創元社『抑圧と自由』は昔読んだ。この岩波版は「自由と社会的抑圧との原因についての考察」を抜粋したもの。どちらかというと創元社のほうがほかの論文(「われわれはプロレタリア革命に向かっていくのか?」「テクノクラシー、ナチ主義、ソ連、その他についての考察」etc.)が入っているので良いんでは、と思うがこの岩波版は訳者の冨原氏による親切丁寧な訳注がついている。表カバーの写真も素敵だ。

久しぶりに読むと辛い。マルクス主義を生産力の際限なき発展なんかあり得るわけがないじゃないか、という視点から批判した第1章は今なお価値がある。だが続く2章3章はあちゃー、という感じ。労働賛歌、として読めば明日への活力くらいにはなるかもしれないが。「若干24歳のときに書いた」という言い訳が後代によって用意されていることをヴェイユ本人が知ったら烈火のごとく怒るだろう。ただしこの論文がヴェイユの工場体験以前に書かれたものであることは付け加えておかねばならない。自ら『遺書』と呼んだこの論文の完成後、彼女は「労働者」のなんたるかを知るべく工場へ足を踏み入れる。そこで完膚なきまでに打ちのめされて自らに奴隷の刻印を刻むわけだが、「未完成の仕事の光景は、笞が奴隷を追いやるのと同じ強烈さで、自由な人間をひきよせる」といったような表現が夢想にすぎなかったと悔いたことであろう。

だが第4章は良い。とことんペシミスティックで、それでいて最後にはとってつけたように希望の切れ端が貼り付けられている。「われわれはなにもかもが人間の尺度にあわない世界に生きている」。そう。だから。「なんら責任を負う気のない奴隷たちは上司たちに服従するわけだが、当の上司たち自身も監督すべき事物の量に圧倒されているだけでなく、奴隷たち以上にいっそう広範囲において無責任を決め込んでいるので、労働の遂行じたいにおいても無数の不手際や落度がひきおこされる」。ええ。まさに。「大工場群が作り出す産業徒刑場では、奴隷を製造するのが精いっぱいで、自由な労働者どころか、ましてや指導的な階級となりそうな労働者を鍛え上げるなど論外である」。ああ。なんて非道い表現。別にどこを引用したっていいんだけど、自虐的といいたいような考察をこれでもか、とたたみかけたうえで、「このように方向づけられた一連の考察が、社会組織のその後の進化になんら影響を与えずじまいであったとしても、だからといって価値がないわけではない」、と結ぶ。何も変わらないだろう、それでも、という、あきらめを前提とした努力。このあたりは、のちのいわゆる「後期ヴェイユ」といわれる宗教思想のなかにも、綿々と受け継がれている。
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2008年05月09日

通じない。

「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち (新潮文庫)
大江 健三郎
4101126151

こないだ読んだ『新しい人よ眼ざめよ』はウィリアム・ブレイクを基調に据えていたのだが今作はマルカム・ラウリーである。はて、私とだいたい同世代の人々のなかでマルカム・ラウリーと聞いてピンとくる人がいったいどのくらいいるか。私は大学は英文科だが(といって威張るほどまじめな学生だったわけではないが)はっきりいって存在すら知らないまま卒業した。たまたま大学院にあがってから、ゼミで読んでいた『Gnosis and Literature』という20世紀文学とグノーシス主義を関連付けて論じた文章のなかでその名前を見かけ、英文学が専門である指導教官に『活火山の下で』を読んだことがないんですか! と仰天された、のでかろうじて知っている。その後いつか読まなきゃなー、と思いつつ放置、で今に至っている。

新しい世界の文学〈第35〉活火山の下 (1966年)
マルカム・ラウリー 加納 秀夫
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(だって高いし。8000えんて。)

要するに、若い世代(って言っていいよね・笑)にとっては「それ、誰?」なわけで、レインツリーをめぐる短編の底に流れているはずのマルカム・ラウリーという固有名詞が想像させる気分を大江氏と共有することができないのだ。これを機会に今度こそ図書館で借りてこようと思うが。

この作品じたいは、ハワイからメキシコ、そしてまたハワイでの大江氏の体験を独特の悪文で綴った小説、なのかエッセイ、なのか、非常に読みにくい、つかみどころのない文章であって、なぜ私はこれを読もうとするのだろうか、という疑問がつい頭をかすめるような、困った一冊である。最初の3篇はそれなりに、ぐねぐねと捩れながらも高安カッチャンという強烈な個の周辺を巡り、ひとつながりの短編として連続性を保っているけれども、最後の1篇はラウリーへのこじつけのような言及もなく、大江氏の通うプールでの暗い事件だけが書かれるのでぽかん、と浮いた印象がある。まあ私としてはこの悪文に寄り添う時間を持つことが目的であるので別にかまわないのだけど、はずれ、な感じは否めない。若い世代(って言っちゃうけど)には通じない作品だろう、とも思う。
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2008年05月08日

焚書!

シモーヌ・ヴェイユ入門 (平凡社ライブラリー)
ロバート コールズ Robert Coles 福井 美津子
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発売直後に買って2章ほど読んでふざけんじゃねー!と思っててっきり捨てたと思ってたのにしぶとく本棚にいたので今度こそ読み終えて焚書の刑に処してやる、と鼻息荒く。わざわざ段落を変えてまでアンナ・フロイトにご高説を述べていただく必要がどこにあるのか。ヴェイユの死と拒食症をつなげることじたいあながち間違っていないと思うけれど、だからといってヴェイユはコーヒーとケーキのよろこびを果たして知っていただろうか?と問うのはお門違いもいいところだ。まるで私のところへ相談に来ていてくれたら彼女を救えたかもしれない、とでも言いたげな論調に激しく苛立つ。そもそもヴェイユはこの手の身勝手な救いをこそ拒否したのではなかったか?神への飢えを拒食症に、ユダヤ人問題をストックホルムシンドロームに置き換える、こういう臨床医が「思想」を殺す。そもそも思想を精神分析の範疇におさめてしまおうとすることじたいに矛盾があるのだ。なんらかの狂気を孕んでいない思想なんかクソだ。

ヴェイユの入門書なら同じ訳者の

シモーヌ・ヴェイユ―ひかりを手にいれた女性 (20世紀メモリアル)
ガブリエッラ フィオーリ Gabriella Fiori 福井 美津子
4582373321

こちらをお勧めする。参考文献の一覧も充実していて役に立つ。

とまあたかが概説書一冊読んだだけでも斯様に熱くなれるところがヴェイユのすごいところである。ああ胃が痛い。
posted by nadja. at 01:45| Comment(2) | 学術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

稀代の悪女ねぇ。

幻夜
東野 圭吾
4087461343

胃炎でダウンして寝てたので安静のお供に。どうやら母がはまったらしく実家には東野サンの本山積み。ちょっと前に読んだ『白夜行』の第2弾らしい。明確に続編とはされていないようだが、稀代の悪女(それは当然とびきりの美女である)が影となる男を使って「成功」への階段をひたのぼる、という筋立ては同じ。『白夜行』は1992年の12月24日で終わっていて、『幻夜』は1995年1月17日にはじまる。なのでまあ、続編なんだろう。

同一人物であろうがなかろうがいいんだけど、今回の女主人公美冬は関西弁を使うせいか雪穂よりもずっと欲が深く、がめつくなったなあ、という印象が。言ってることも陳腐だし(あたしらの幸せのためにはこうするしかないんよ、といったような)。幸せって何ですか、お金をたくさん手に入れることですか、地位を手に入れることですか、いつまでも若さを保つことですか、世間に勝つってどういうことですか、と美冬サンに聞いてみたいが、前作と同じく心理面は一切カット。事件がどーんと提示されるだけで何故そうするに到ったか、の部分は何も描かれない。なのに文庫本で779Pの大容量。それぞれの「事件」のつじつまをあわせるためのディテールにかなりの分量が割かれている、んだけどやっぱり「そんなにうまくいくもんかね」と思わざるを得ないところも前作と同じ。今作ではより怪物性を増した女主人公が、どうも三部作らしいので、この先どう化けるのか、ちょっと楽しみ。稀代の悪女が何を思い何を望んでいるのか、そのへんも読んでみたい。
以下ネタバレ追記。
posted by nadja. at 20:40| Comment(0) | ミステリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

取り急ぎ、

PORTISHEADの新しいのんをずーっと聞いてるのだけれど、T9「small」、2分半まではとても良いけどそのあとどうしても、どんなに頑張っても、DEEP PURPLEにしか聞こえない件については取り急ぎ書いておこうと思った。ついでに「magic doors」がセカンドラブに聞こえるあたりも。

Third
Portishead
B0016HNOXQ

posted by nadja. at 12:20| Comment(2) | music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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