2008年01月28日

世界は消え失せている、私はおまえを担わなければならない

雄羊 (ちくま学芸文庫)
Jacques Derrida 林 好雄
4480090207

ガダマーへの、ツェランへの、デリダという権威による、過剰に美しいオマージュ。「世界は消え失せている、私はおまえを担わなければならない」というフレーズから無限に展開される解釈の嵐。フロイト、フッサール、そしてハイデガーをひいてこれでもか、と美文を重ねる様はまるで「お手本」である。このとてつもない無益さが、文学理論の、文学批評の現在である。

それでも友をなくした私にはこの解釈は胸に痛い。記憶を内化して、理想化して、消え失せた貴女の世界を、「私がおまえに借りがあり、おまえを担う義務が私にあるときに、私が義務を負っている以上、また私がおまえに話しかけ、おまえについてあるいはおまえの前で責任がある以上、」担わなければならない。内面化された果てしない対話を繰り返すことで、貴女を異質な他者としてでなく、自分自身として自己固有化することで。

結局人は自分の読みたいと願うものをその文面に読み取る。

本文とほぼ同量の訳注、解説もなかなか充実していて、愛すべき小冊子であった。
posted by nadja. at 00:50| 学術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

地球にやさしくないamazon

amazon大好き。amazonに依存してる。amazonがなければ今の自分はない。「ご注文いただいた商品をできるだけ早くお客様にお届けするため、以下の商品を分割して発送させていただきました。」うん、その心遣いはうれしい。とってもうれしいよ、かゆいところに手が届く、amazonならではのサービスだよね、一刻も早く聴きたいの!というわがままリスナーも納得の、さすがamazon!やってくれるじゃん!のサービスだよね、

とは思わない。

CD2枚でもビニールでぴっちり包装したうえ段ボールに入れて送ってくる。そのうえよくケース割れてる(涙)。今回なんて、分割ってくらいだから相当遅れるんだろうな、と思ってたら同じ日の10時16分と16時25分に発送完了メールが。翌日あのでっかいボール紙パックが一日に2つも、しかも中身はCD1枚ずつで届いた。あきれた。

そこまでやってくれなくて良いよ。
お急ぎ便なんて制度もできたんだし、急いでたら使うよ。
地球さんに気を遣ってまとめて注文してるんだから。

というのをカスタマセンタにメールで送ろうと思ったのだけどどこから送っていいのかわかんなかったからここに書いとく。ゴミが増えるんだよね、まったく。
posted by nadja. at 01:55| etc | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月26日

青つながり。

Blue Album
Orbital
B0002JELRC

身の回りけっこう青いものが多い。カーテンだってベッドカバーだって青いし、ここもこんな色だし。いわゆるミッドナイトブルー、という色が好き。たぶん毅然としてるから、ジョニ・ミッチェルの『blue』の色、ブルーベルベット。

さておきORBITALの『Blue Album』はキャリアの締めくくりの一枚。弦楽器が効いていてぐっとシックな装いのテクノ、と思いきやPRIMAL SCREAM!?と言いたくなるような派手なアレンジもあり、終わりに近づくにつれてビートも深く強くなっていく。そうはいっても煙い感じはしないから、気分的に落ちない。こんな音楽を聴くなんて、最近珍しい(笑)。でも一応、青だから、それも濃い青だから、ちょっと悲しくて、ちょっと寂しくて、そして美しい音の連なり。

ってホントにまったくこの感覚的な言葉の羅列、どうにかならないものかしら。
posted by nadja. at 19:33| music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

青い宝石のような

ラピスラズリ
山尾 悠子
4336045224

薄青の函のなかにはぶーぶー紙に包まれた鮮やかな青の布張りの本。手にするだけで幸せな、青い宝石のような一冊。

登場人物はみな冬を眠ってしまう。冒頭、三枚の銅版画をめぐる画廊の店主との対話。「画題をお知りになりたくはありませんか」。わたしは問う、「誰の何という小説の挿絵なのだろう」。「これは冬眠者のものがたりでございますね」。三枚の銅版画はこれから筆者によって描かれようとする物語の挿絵となる。

冬を眠ってしまう、という突飛な発想にも関わらず浮いた表現が一切ない。硬質で、厳格で、冷え切った石のような感覚。ラピスラズリ、というタイトルは素晴らしい。小説の世界観をひとことで表現している。
posted by nadja. at 02:46| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

同時代ゲーム

同時代ゲーム (新潮文庫)
大江 健三郎

年明けから読み切れぬままにぐだぐだと。今日の朝無理矢理のように読了。

以下四方田犬彦氏の解説より。

「70年代がまさに終わろうとする1979年に500頁近い書き下ろし長編として発表されたこの小説は、当時実にさまざまの毀誉褒貶を巻きおこした。批評家たちは一方で、作者の特異な想像力の質を賞賛し、前代未聞の神話の読み替え行為に積極的な意義を認めようとした。純文学のSF化が状況論として語られたこともある。もう一方では、恐ろしく冗長で退屈な読み物にすぎないという否定的裁断がなされ、文化ファッションとしての人類学を不器用に使用した高級なパズルにすぎないという非難すらあった。」

感想として個人的に後者を。なんせ埋め込まれた出来事の数が半端ではなく、そのたびにひとつのモチーフが描写を少しずつ変えながら、繰り返し繰り返し挿入され、冗長さ、退屈さをあおる。村=国家=小宇宙の発生から消滅までを年代記として記すのであるから、膨大な出来事が綴られることは当然予想できるが、ここまで執拗な語り口であらねばならなかったものなのかどうか。

苛烈な税の取り立てから逃れるために二人で一つの戸籍を共有する、という、国家への反逆行為が50日戦争という悲劇へなだれ込んでいく様はさすがにおもしろかったが。

ただこれを和製『ガルガンチュワとパンダグリュエル物語』とするには、ユーモアが足りない。

(この人の小説において身体を朱に染めることがいったいどのような意味を持っているのだろうか?)

この閉塞から何が生まれるのかは『新しい人よ眼ざめよ』を読まねばならない。
posted by nadja. at 04:05| 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月11日

ついにケイティが。

http://www.creativeman.co.jp/2008/BA3/index.html

うっひゃー!

3/1にQueenAdreenaがついに来日しちゃうそうです(表記がQUEENADRENAになってるんだけど、Eいっこ落としたのかな?)。今、とにかく今めためた観たい、渋谷だろうがどこだろうが行っちゃうぞくらいの勢いで観たい、SuckとかPretty Like Drugsで大暴れしたい、あのダミ声で世界を一蹴してほしい、今じゃコートニーよりずっと迫力あるはず…。今一番ライブがみたいアクトかもしれない。
行きたいー!!!

けど土日休みじゃなかったりする。

…会社やめようかな(←出た、ダメ発言・笑)。

Drink Me
Queenadreena
B000067CJA


Taxidermy
Queenadreena
B00004S2AI


The Butcher and the Butterfly
Queenadreena
B00099FV1A


俄然、盛り上がる。
posted by nadja. at 19:20| etc | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

ノヴェム…?

「1973年、幻のバンドNOVEMが残したたったひとつのメッセージ」
「わずか6日間しか存在しなかったバンドの物語」

フライヤーにはそうあった。そして公式サイトにはこうあった。

「世界中を混乱させたヴェトナム戦争が終わり、映画『アメリカン・グラフィティ』がヒットし、日本はオイルショックで揺れていた、1973年。

アメリカ・インディアナポリス。オースティン、ジャスリン、アラン、ピーター、デニス、トム、クリスティ、デイナ、マークの9人は、ミュージシャンを目指す大学生で、郊外のレコーディング・ハウスで6日間に渡るキャンプを楽しんでいた。彼らは昼夜を共にしながら、曲を作りレコーディングを行った。戦争で大切な人を失った者、生きる理由を探す者、自然保護運動に参加する者…異なる環境で過ごしてきた彼らは、それぞれの想い、時代への期待と不安を歌に込め、キャンプ最終日までに9曲を生み出した。

しかし、キャンパスに戻る途中、彼らが乗った車は事故に遭ってしまう。9人のミュージシャンは全員、帰らぬ人となってしまった。

彼らの名はNOVEM、ラテン語で“9”の意味を持つバンドだった…。」

2004年になってガレージセールで大学生が音源とフィルムを入手する、ところからすべてがはじまっていく、っていうお話なのだけれども、はて、VENOMなら知ってるがNOVEMなんて知らないぞ、と。へぇ、そんな幻のバンドが本当にあったのか、とピュアなハートをもつ私はナナゲイのレイトショーに足を運んだ。

だいたい映画というメディアの本質は虚構なのであって、本当のことはなにもない、のが普通。たとえばスパイダーマンであればそんなのいるわけないと思って観るし、たとえばブラピがチョイ役で出てると聞いたらああフィクションなんだと思って観る。けれど、いかに話が出来すぎているとはいえ、なんとなくありそうな話、そして「俳優」はみなそのへんにいそうな人たち、となったら、これは虚構なのだ、と現実の側でふんぞりかえって安心していることはできなくなる。

1973年の16ミリフィルムがこんなにきれいに残ってるわけがない、とか1973年の音楽にしちゃサウンドがクリアすぎ、とか、いろいろあるけど、ときには欺かれてみるのも、なかなか良いものです。たぶん。
posted by nadja. at 14:31| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月05日

TORI AMOSを日本へ。



取り返しのつかないことばっかり思い出されて(笑)眠れないのでいろいろ見てたらいいの見つけた。「yes, anastasia」のフルバージョン。しかも去年の。we'll see how brave you are、のリフレインがたまらない。コチラのサイトでもTORI AMOSを日本に呼ぼうコールが高まっているけれどもう是非。本当に。心から。実現の暁には日本中ついて回っちゃう。それにしてもなんというキラキラコスチューム。似合ってるけど。
posted by nadja. at 04:03| etc | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

もうりょう〜

『魍魎の匣』(http://www.mouryou.jp/)を観てきた。京極作品の中では『絡新婦の理』に続いて好きな作品なのでイメージ崩れたらどうしようと思いながら行ったのだけれどいい具合に原作からずらして作られていたので満足。京極堂がしゃべりすぎる、落ち着きなさすぎる、とか関口センセイしっかりしすぎ、とか木場さん男気出そうとして失敗してる、とか黒木瞳だけはやめてほしかった、とか匣の中身を探検しすぎ、とかいろいろあるけど、満足満足。大陸っぽいつくりのセットも安っぽくなくて雰囲気出てたように思う。出しすぎのきらいもあるけど。日本映画もいつまでも鎖国してる必要もないし、もっとひろいマーケットを狙ってのことなら、それもまたよし。

これで2作目。もしかして狂骨も鉄鼠も制作が視野に入っているのだとしたら、素直に楽しみにしておこう、と思う。
posted by nadja. at 18:27| film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月02日

テレーズ・デスケルウ

あけました。今年もよろしくお願いします、いや、今年はよろしくお願いします(笑)。今年はもう少し深い愛情をもってこのブログに接してやろうと思っております。なのでもう、オールインワンで。カテゴリはまたそのうち整理します。



大みそかから年明けにかけて読んでいたのはモーリアックの『テレーズ・デスケルウ』。こないだ読んだ高橋たか子の講談社文芸文庫から出ているエッセイに、テレーズの足跡を追ったというフランス南西部の旅のあらましが紹介されていたので。訳者である遠藤周作もまたテレーズにとりつかれた人。たしかに。深い水の底に沈められたような静かな激情に読んでて胸が苦しくなった。三人称がいつしか独白になだれこみ、そしてえんえんと続く独白がいつしかまた三人称に戻っているという内面地獄をもってして描き出されるテレーズの孤独には都合の良い救いなど当然用意されていず、モーリアックの残酷なまなざしに凍る思いがすると同時に甘ったるい逃げ道ばかりを空想したがる昨今の想像力に対し溜飲が下がる思いがした。

お正月のバカ騒ぎには良い薬。

テレーズ・デスケルウ (講談社文芸文庫)
モーリアック 遠藤 周作
4061975692
posted by nadja. at 15:58| 小説*海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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