2006年11月30日

知らず知らずに

遠い朝の本たち
須賀 敦子
4480036288

「須賀敦子」という名をはじめて聞いた、と思っていたのだがそんなわけがなくてタブッキの『インド夜想曲』、『供述によるとペレイラは…』を読んだときに知らず知らずにお世話になっていたのだった。いかに私がいい加減な本読みかということがよく分かった。

私はユルスナールの『青の物語』というのが好きで、当然『ユルスナールの靴』という本の存在も、知ってはいたのだが、そうか、こういう人の、本だったのか、となんだか急に視界が晴れたような気がした。

終戦直後の日本に、こんな女性がいたということ自体が驚きだし、なんだかこう、読むからに「(芦屋の)お嬢様」の匂いが漂ってくるのとうらはらに、何のてらいもなく「『そのために自分が生まれてきたと思える生き方を、他をかえりみないで、徹底的に探求する』のに、へとへとになっていた自分を思い出した」(「シエナの坂道」)と書いてしまうとてつもない芯の強さ、おそらくその裏には壮絶な葛藤が、苦労があるのであろうに、そんなことはおくびにも出さずにあくまでさらりと書ききってしまう強さがあって、最近涙腺が緩みっぱなしの私はひどく勇気付けられた。

文藝ガーリッシュの旅に出てよかったと思う(笑)。

I will arise and go.
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バタイユは無理。

昨日は仕事帰りに(仕事してんですよ!珍しく)「せんちゅう」へ行って

http://www.at-e.co.jp/maman/

を観てきました、水曜日だし(笑)。

レイトショーに来ている人たちはたいていがみんな一人で(二人連れはいなかったような)、いったいどんな気分を抱えて帰途についたのかな、なんて余計な詮索をしたくなるようなラストシーンはさておくとして、やはりバタイユを映画化するのは無理がある、と、どうしてもどうしても思わざるを得ないのでした。

登場人物の誰もが「無理してる」感を拭いきれず、歓びなどというものはどこにもなく。強制された放蕩には痛々しさすら伴って。

とかえらそうなことを書こうにも、てっきり原作は読んだものとばかり思い込んでいたのによくよく家に帰って確かめれば本棚にあったのは書肆山田から出ている『聖女たち』で、読まなきゃならない(とかいう強制こそ一番不恰好なものであるのだが)のは

聖なる神―三部作
ジョルジュ バタイユ Georges Bataille 生田 耕作
457696061X

こっち。

「せんちゅう」の地下街のベンチで映画の時間待ちをしていた男の子は黒い背表紙の本を熱心に読んでいたから、彼はものすごく正しいのでした。
posted by nadja. at 20:56| Comment(0) | film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月27日

心臓、抜いてよ

心臓抜き
ボリス ヴィアン Boris Vian 滝田 文彦
4151200053

タイトルだけでもういいや、という感じになる一冊。なんて強烈な言葉だろう。「心臓抜き」。

精神科医のジャックモールがどこか海辺の断崖の近くで女のお産に立ち会うところからはじまる。「心臓抜き」を連想させる描写は女の夫であるアンジェルに精神分析をする理由を語るところ、くらいだろうか。「わたしは願望、欲望が欲しいのです、だから他人のそれを取るのです」(P.31)。ふもとの村では老人市が開かれ家畜、子どもが虐待され司祭は贅沢の神を説く。数年経過。女の生んだ三つ子は成長して空を飛ぶ。ジャックモールはいつしか女のもとにとどまっている。女はあらゆる可能性、三つ子に起こりうるあらゆる危険の可能性を数え上げて静かに狂っていく。村人が棄てた恥を歯で掬い上げるラ・グロイールの行っていた作業こそ、他人の願望、欲望を抜き取る「心臓抜き」、といえるのだろうな、だからああいうラストなんだろうなと今書いてて思った。

そういうこじつけはさておきやっぱり強烈なのは「心臓抜き」という単語の配列が連想させる痛気持ちよい感じ、口腔から真っ赤な心臓が血しぶきを撒き散らしながらずるずると引きぬかれていくのか、それとも鋭い矢に刺し貫かれるのか、なんでも良いけど心臓、抜いてよ。
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2006年11月20日

獣のほうが人間なんぞよりよっぽどよっぽど獣じゃない

女獣心理
野溝 七生子
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もう一冊読んでみたくなって同じ棚にあったので購入。うって変わって文体も一気に都会的になり、あれ、ホントに同じ作者の作品?と思ったほど。昭和5年、モボ・モガが銀座を闊歩していた頃なんだろうか、不思議にモダンで時代の匂いがしない。というかほとんど現実の匂いがしないのだ。

美術学校の卒業制作にレダを描いた薄幸の人、サヤと、サヤを崇拝する沙子(すなこ、と読む。ステキな名前だ)。沙子は上流階級のお嬢様、母は娘とサヤとの付き合いを快く思っていない。沙子の許婚である話者はサヤに惹かれ、判然としないサヤの、後ろ暗いかもしれない過去に踏み込んでいく。

まるで希臘悲劇。

だが多分、『山梔』を書きえたこの人でなければ、サヤが消息を消した理由をこのように書けなかったと思うのだ(情況設定はできすぎ、の感が拭えないにしても)。「女獣」心理だなんてなんとも安っぽいタイトルだけれど、「心理」描写にかけては素晴らしい。いろいろできすぎな面はあるけど(しつこい)。
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2006年11月18日

家族とは、親子とは

山梔
野溝 七生子
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「空や、阿字子は、ほんとに好い子になって、そして、今、空が歌った金と銀との橋を、空の行く道に、きっと架けて上げるよ」(P.164-165)。

親が子を殺し、子が親を殺し、人が人を嬲り、詰り、若い命が日にいくつも散っていく昨今、家族とは、親子とは、兄弟姉妹とは、これほどに、互いを思いやることができ得たのか、と、胸が詰まった一冊。本筋は、そこではなくて、あくまで阿字子が「知」の女性であって、当時の家父長制度との軋轢のなかで父には「腐れ学問」と言われ、打たれて、嫂には「親同胞の厄介者」「恥さらし」と謗られて、というところにあるのだろうけれど、阿字子の母を思う気持ち、緑の阿字子を思う気持ち、母の阿字子を思う気持ち、阿字子の空を思う気持ち、それらに打たれて私はもう、ほかのことはどうでも良くなってしまった。

確かに阿字子はどうしようもなくわがままでかたくなで「あんた何言ってんだい」といってやりたくなるのだが、もうそんなことよりなにより、互いが、互いを、思う気持ち。それらがすれ違っていくときの、悲しみ。

講談社文芸文庫、ってもうすでに値段が「文庫」ではないけど(笑)、どこかで見かけたら是非手にとって読んでみていただきたい、と、おすすめなんかしたことないけど、思った一冊。
posted by nadja. at 06:26| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

匂いは呼吸の兄弟であるから

香水―ある人殺しの物語
パトリック ジュースキント Patrick S¨uskind 池内 紀
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来年映画になるそうな。しかし「匂い」をどうやって映像化させるのだろうね。舞台は革命前のパリ。汚臭の描写がすさまじい。解説によるとアラン・コルバンの著書から着想をえた描写だそうだがベルサイユ宮殿なんかもおそらくかなり臭かったのだろうな。

主人公のグルヌイユは「匂い」の天才で、その才覚を生かして香水調合師となる。汚臭芬々のパリで大活躍、で富を築いてルイ16世やマリー・アントワネットにも自身の名を冠した香水を献上、してたらよかったものを、悪魔的な才能に恵まれた男はそんな凡庸な「成功」には鼻もひっかけず、処女の匂いを求めて…

っていうプロットはおどろおどろしいけれど描写はえぐくないし、それよりも香水の蒸留法とか、精油の取り出し方なんかが詳しく書かれていて、興味をそそった。

文中より「人間は目なら閉じられる。(中略)耳だってふさげる。(中略)だが匂いばかりは逃れられない。それというのも、匂いは呼吸の兄弟であるからだ」(P.216)。今も、ときおり、街中でダヴィドフの匂いをかぐと、ふと、振り返ってしまう。
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2006年11月15日

ま、読まなきゃ分からないこともあるさ

雨更紗
長野 まゆみ
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「助けてほしいなんて、思わない。そんなこと、誰にもできないことだ。」という例の「教科書」(笑)の見出しにつられて買ってみる。148ページしかない、しかも文字組みの大きな文庫なのでさらりと読んでみる。この人の本も初体験。多作な人ですな。時代設定はどのあたりなんだろう。瀟洒な日本家屋の細やかな表現は別世界へ誘ってくれるものではあるけれども話の筋は故意にそうしているのか、薄ぼんやりしていて「読んだ」という気があまりしない。

丘沢哉と児島玲はどちらが現実でどちらが非現実なのだろう。

文藝ガールは斯様な体温を持たないBLに嘆息したりするものなのだろうか。私は、苦手である。
posted by nadja. at 05:52| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

きゅうけいその2

さあ、気ちがいになりなさい
フレドリック・ブラウン 星 新一
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あ、新装版が出てるのね。私が図書館から借りてきたのはまだ検印すら廃止されてないようなこぎたない(笑)やつで、頁もばらけてて読むのが大変だった。おまけに「きゅうけい」なんていってられるほど単純なSFでもなかった。

12の物語収録。そのひとつひとつでころりと印象が変わる。「みどりの星へ」はちょっとほろりとするような妄想的地球賛歌、「電獣ヴァヴェリ」はうん、かなり面白かった、宇宙からの電波妨害が発生して、地球は電気のない、蒸気機関だとか馬だとかに依存する生活へ逆戻りする。「ノック」は地球外生物がノアの箱舟を再現しようとするおバカSF、かと思ったら「不死鳥への手紙」では人類の不滅を謳う哲学的な趣きさえ感じさせ、表題作は「どんな方法であなたがアーヴィング博士にちがいないと証明できます。ひょっとしたら、あなたは気がくるっているのかもしれないではありませんか」という科白に凝縮されるアイデンティティ・クライシス(それもかなり入り組んだ)を扱った中篇である。

挑発的なタイトルに見合うだけの、読み応えある一冊。
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2006年11月14日

郵便配達は二度ベルを鳴らす

郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル・リマスター 完全版
ジェームズ・M・ケイン ルキーノ・ヴィスコンティ ジュゼッペ・デ・サンティス
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11日と同じく国際交流センターにて。有名な作品だけれど正直なところそれほど…。だいたい、「ねぇ、私のこと愛してる?」とたずねるような女が好みではないので(苦笑)。

その気になりさえすれば、見たい映画っていうのは、いまどき、そこらじゅうのハコで、毎日、毎日、予定を組むのが大変なほど、上映されているのですね。

リメイク版は、きわどい、というかエグい性描写に重点を置いているらしく、まず私は見ないことでしょう。

それよか、

ポストモダニストは二度ベルを鳴らす―90年代文化論
ギルバート アデア Gilbert Adair 池田 栄一
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こっちのが面白いですよ。

(あーもー越境しまくり・笑)。
posted by nadja. at 04:06| Comment(0) | film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

瞼の裏に住まうキミ

第七官界彷徨
尾崎 翠
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この人のことを何も知らなかったので忠実にノミネート作品を読んでみた。表題作は、哀しいユーモアに満たされた奇妙なお話で、一助と二助の会話などはツッコミどころ満載なのだけど、私はそれより「歩行」(心理学の「研究」だとかで戯曲を朗読しあう、というのはなんと切ない設定だろうか)とか「こおろぎ嬢」(「ひとつの骸で両つのたましいが消えていった…」)、が良かった。

この人の瞼の裏にはどのような男性が住まっていたのだろう。

「第七官界」というのはもしかすると、そういったただ、自分の内側にだけしか存在しないけれども現実以上の確かさをもってそこにあってしまう世界、のことかもしれないというのは牽強付会にすぎるとしても、まあなんせ「この小説を前にして平然としていられる女子は女子失格」とまで『文藝ガーリッシュ』の著者が書いてらっしゃるような作品なのであんまり平然としてても、アレだし(笑)。

なによりも、私は尾崎翠、という人そのものに興味を持った。
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若者のすべて

若者のすべて
アラン・ドロン
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大阪国際交流センターでヴィスコンティがらみのイベントをやっています(あと梅田のスカイビルでも)。11日は「若者のすべて」を見てきました。アラン・ドロンってこんなにかっちょ良かったかしらとうっとりすることしばし(あんまり強そうなボクサーには見えないあたりがちょっと…)。結局ロッコの身を裂くような決断(ポロリと零れ落ちる涙!)は過ちでシモーネもナディアも破滅するわけだけれどもあのシーンは凄かったです、ナディアの泥に汚れたトレンチコート。後ろ姿。

イタリア語というのは非常にけたたましい言語で177分間というのはちょっと長いかなと思っていましたがあっという間でした。多分、すごい、名作。
posted by nadja. at 03:06| Comment(4) | film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月11日

きゅうけい。

第三次世界大戦秘史
J・G バラード J.G. Ballard 飯田 隆昭
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何事もバランスが、バランスだけが大切であるので(笑)。

14の短編が入っている(ラストの『索引』の位置づけはちょっと分からない)。中でも「ウォー・フィーバー」の設定(まるで天然痘に対する予防のように、世界のどこかでは「戦争熱」とでもいったものに対する実験場が必要なんだ、全世界の平和のために)はうなるほど見事だし、「第三次世界大戦秘史」は昭和天皇の崩御にいたるまでのあの克明な病状報告によってもはやパロディとなっている(執筆されたのは当然それ以前である)。「夢の積荷」はいかにもありそうな話だし(海上を漂う産業廃棄物…突然変異…)、「エイズ時代の愛」は何故だか唐突にクロード・ルルーシュの『マイ・ラブ』を想起させた。もっとも笑った、のは「世界最大のテーマ・パーク」である。EU統合後、ヨーロッパの人々は地中海沿岸のリゾート地に住み着いてしまい、仕事も家庭もうっちゃって、しまいには「健康的に」肉体を鍛え上げ彼らを呼び戻そうとする武装勢力と衝突する…といった荒唐無稽でありながら「わかるわかる、そうしたい気持ちはすごくわかる」と納得させられるストーリー展開に思わずにやりとしてしまう。

正直あとの短編はよく分からなかったのだけど、P.253「時間から脱出するためには、まず飛ぶことを学ばねばならないんだ」という科白にはぐっときた。

そういえば私は空を飛ぶ夢をよく見る。はじめはクロールのように空気をかきわけながら、じわりじわりと上昇する。いったん気流に乗ってしまえば、上昇するも下降するも思いのまま。そして旅をする。たいていは、何かに追われて、逃げるための逃避行なのだけど。

福武文庫って、良い本を出していたのだな…。
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2006年11月09日

アンファン・テリブル…

燃える風
津島 佑子
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「津島佑子」というと「ああ太宰の」というのが一般的な反応だろうし私もそうだし昔母の店の客が『津軽』と一緒に津島佑子さんの本を何か一冊下さったことがあって読んだような読まなかったような記憶があるようなないような(『津軽』は読んだ、のは覚えている)、だから多分はじめて接するのだと思うのだがやはり小学5年生の、愛に飢えた女の子の物語を読むには私は薹が立ちすぎていたようだ。

「二度と有子に気安く近づくことができなくなるように、少しの妥協もなく痛めつけてやらなければならない」

「それはやっぱりひきょうなことです。ゆるしてはいけないことです。その人のためにも、一度、てってい的にわからせてやらなければいけないと思います」

「自分の軽々しく口にした言葉の重さを、橋口泉に思い知らせなければならない」

どうだろうかこの激烈な言葉の群れは。これらの言葉は「ああ太宰の」という我々の「心無い」反応への復讐として、受け取ることが正しいのだろうか。
posted by nadja. at 22:39| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ケッサク。

文章教室
金井 美恵子
4309405754

『文藝ガーリッシュ』にはこれではなく『噂の娘』がノミネートされていたのだがあいにく貸し出し中だったもので。だがこちらを選んで正解だったかもしれない、なんだこの悪意。なんだこの痛罵。なんだこの爽快感(どこで息をつげば良いのか分からないような文体にもかかわらず)。

こんなふうにバッサリバッサリと切って捨てるのはさぞ心地が良いだろうな。

猛烈に意地悪だけど、憎悪、なんていういやらしいものは一切ない。できるならこのくらい、突き抜けたいものだ。
posted by nadja. at 01:46| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ようこそ、羊さま。

だいたいが映画ってあんまり見ないのですが最近己の存在が疎ましいので(笑)暗がりに逃げ込むように映画館へ足を運んでいます、特に水曜日、え、だって1000円だもの。

で一応こちらは音楽、あちらはその他もろもろ映画も含む(ってほとんどないんですがね)、という棲み分けが自分の中ではかすかながらもあったんですが最近あちらがえらいことになってるので(笑)、そしてこちらはさぼりすぎなので越境させてみることにしました。

前置きが長くなりましたが『ようこそ、羊さま。』という中国映画を見てきました(@シネ・ヌーヴォ)。舞台は雲南省の山間部だそうですが草木も生えぬ荒涼とした砂漠で印象に残っているのは砂塵、画面いっぱいの砂塵、だけ、だったりします。そこへエライさんが勝手に外国種の羊さまのつがいをつれてきて育てろと。増やせと。そしたら村も富むだろうと。そういうお話でした。

羊が好きなので見に行っただけです。

あー、もー、あんた何言ってんのー? 羊が食む草すら生えてないような土地じゃん、と妙にしらけた心持ちで暗闇に同化していました。以上。
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2006年11月07日

危険な関係…

暗い旅
倉橋 由美子
4101113025

たまたま書店で千野帽子さんの『文藝ガーリッシュ』という本を見つけて、ああ、これこそ私に壮絶に(笑)欠けているジャンルだ、と思い購入。カイエと平行して何冊か読んでみることにした、ってそれもえらいバランスに欠けている気もするが。

とりあえず倉橋由美子さんは『聖少女』『パルタイ』『ヴァージニア』『毒薬としての文学』『大人のための残酷童話』と結構読んでいる部類に入るので、1961年発表の『暗い旅』からはじめてみることにした(図書館で借りたのだが閉架図書だった)。

読後感は「むはー」である。

巻末近くにあるが、「…それは《まだ発見されない小説を求めて》という主題をもつ小説を書くこと」、という、野心に満ちた冒険的な小説であるのだろう。文中、読者は「あなたは」と幾度も幾度も呼びかけられる。私は行方不明になった婚約者を探す(?痕跡を辿る?それとも死亡確認をする?)旅に巻き込まれていく。東京から京都への6時間半の旅の間に「あなたは」(私は)少女から女へと変貌していく。確かに「スティル」のある文体である。それが独特のものであるのか否かはガーリッシュに疎いので私には分からないが。

彼と「あなた」は奇妙な契約を結んでいる。《サルトルとボーヴォワールのように》。合意の上で裏切りあい、ラクロの『危険な関係』を地で行こうとする。

彼は肉感的なフィユとの情事を仔細もらさず「報告」する、「あなた」もギャルソンとのアヴァンチュールを彼に語る、裏切りあうことで逆説的に愛を確認しあう、貞潔などというたかが粘膜ごときに保証されるようなやわな関係ではないのよ、と。

…そんなことを夢見た頃も、あったなぁ…(苦笑)。

概して、そういう関係は、破綻する運命に、ある。

まったく余談だが、文中「ナポレオンは《Joséphine, pas ce soir》といった」、という一文が出てきたのだが、これはTORI AMOSの「Not Tonight, Josephine」の歌いだしが印象的な「Josephine」とやはりなにかつながりがあるのだろうな。

To Venus and Back
Tori Amos
B00001IVJS

そういえばトーリはとてつもなく「ガーリッシュ」な人である(手前味噌ですみません)。
posted by nadja. at 07:31| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

プラネタリウムへ

プラネタリウムのふたご
いしい しんじ
4062755254

珍しく最新刊などを。

小学生の頃星を見るのが本当に好きだった。天体望遠鏡を買ってもらって、ハレー彗星だって見た。1998年、テンペルタットル彗星が33年周期で帰ってきたとき、もう望遠鏡は手元にはなく、私は友人と、その友人の兄の車に乗せてもらって田舎へ出向き、ボンネットに寝転がって幾百の流れ星を眺めた。

どこかの田舎街のプラネタリウムでテンペルタットル彗星の解説のさなかに泣き出したふたごの兄弟は、テンペルとタットルという名をつけられて泣き男の手で育てられる。プラネタリウムの屋根の下で。

設定も語り口もまるでおとぎばなしだけれど、ああ、そうだね、そのとおりだね、と思うことは少なくなかった。

久しぶりに星座早見盤を取り出した。11月5日、午前3時前、天頂付近にはぎょしゃ座のカペラが、その少し後ろにはふたご座のカストル(2等星なので大阪の空では見えまい)とポルックスが、オリオン座は南の正面に、そして全天で最も明るい光を放つシリウスが、冬を連れて、やってくる。

プラネタリウムに、行きたいな。
posted by nadja. at 02:50| Comment(0) | 小説*日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

ベス姐さん…

水曜日なので映画に行ってきました(フライング許せ)。小川洋子さん原作の『薬指の標本』。んー、感想としては標本技師さんはもちょっと若くて、もちょっと植物的な役者さん(ぱっと浮かんだのはクリスチャン・ベイルみたいな冷たい感じのヒト)が良かったなとかエロがちょっと鼻につくよとかいろいろあるのですけどそれはさておき、この映画、音楽がベス・ギボンズ姐さんなんです。

http://www.kusuriyubi-movie.com/

こちらからどーぞ。ちょろっと聞けます。

歌ってるんですよぅ、ベス姐さんが!「just the way it is」、ってなタイトルなんでしょうかねぇ、白状すると実はもう耳がダンボになりすぎてストーリーとかスクリーンとかちゃんと見てなかったかもしれません…。

どんどん枯れて渋みを増し凄さを増しているベス姐さん(将来的にはマリアンヌ・フェイスフルみたいになるのかしら)の声、堪能させていただきました。ラストシーン近くのいっちばん良いとこで

Out of Season
Beth Gibbons & Rustin Man
B00006ZSAD


から使いまわしてはりましたけどね(笑)。
posted by nadja. at 23:15| Comment(0) | music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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